最後のやつを納品。まだ雑用があるので終わらないが。
塔で『Time Warp』と『P Cubed』BD を予約。スマートフォンアプリから初めて予約してみた。とっくに店で伝票書かなくてもいい時代になっていたらしい。
長らく母が使っていた初代 iPad がいい加減に古くなったので新しい iPad を購入。もう初代の Safari だとまともに表示されない web サイトばかりになってしまったので。店員さんが日本語の流暢な中国の人だった。
朝5時半に納品してシャワーを浴びてバイトへ。死む。
9/16 2年半ぶりヌーシングル『Time Warp』! カップリングが『再生』か。新しいアー写も良い。のっちさんの髪がかなり長め。
今年も紅白出るとしたら、この曲なのか『再生』なのか。紅白をやるのかどうかも不透明だけど。
直しながら、書く仕事。仕事なんか面倒くさいことしかない。めんどくさいことをやる引き換えにお金をもらえるとも言う。
リハビリ。バイト先で暇なときにいろいろ動かしていたら、だいぶ可動域が広がってきた気がする。「いてて、もうこれが限界」というところから少しだけ無理をして1cmでも2cmでも余計に動かす、というのを繰り返すのがいいようだ。
リハビリの先生が受け持っている患者の中で、俺と70代のもう一人が回復の遅いワースト2らしい(泣)。70のじいさんとビリを競っているとは。頑張らねば。
ずっと雨。ずっと雷。
在宅仕事。書く仕事と直す仕事。
映画『Reframe THEATER EXPERIENCE with you』公開。2週間限定。行く。ステージの奥行きをあまり使わない平面的なショーなので、映画との相性は良さそう。予告篇。
五輪開会式跡地の日。梅雨が明けず。
うちと疎遠になっている父方の伯母から俺宛に現金書留が送られてきた。香典というわけではなく、お悔やみの言葉もなく、太郎ちゃんの結婚祝いとして取っておいた金だがいつまで経っても結婚しないようなので送る、みたいな手紙が原稿用紙に汚い字で書かれていた。この伯母は昔から人を学歴や年収でしか評価しない人で、父と慎ましく暮らしていた母のことを小姑として徹底的にいびっていた。俺のことは、家の嫡男であり、勉強ができて将来利用価値があると思ったらしく、猫かわいがりしていた。もう80歳近いと思うが、相変わらず感覚がおかしい人だ。父の死去を母が手紙で伝えたので、俺への返事ということなんだろう。母への返事は先日電話をうちにかけて来て、案の定母と激しい口論になっていた。
金などもらう義理はないので突き返したいが、伯母が面倒を見ている伯父(父の兄。精神を病んでいて、伯母が介護施設に入れた。伯母は無理やり成年後見人に収まって、伯父の預金や年金を私物化しているようだ)が将来亡くなったときに、遺骨をうちの墓に入れて欲しいという思惑があるらしいので、その納骨費用として取っておけば、と母が言う。返事は送らず、そんな感じで処理することに。
父は6人きょうだいで、この伯母・伯父以外の3人は亡くなっている。うち2人は孤独死で、後始末は全て父がやった。下の叔母が亡くなったときは特に現場の状況がひどかったらしいが、伯母は処理費用も援助せず、父を全く助けなかった。父は母に「手伝いには来なくていい」と言って、一人で千葉の現場まで通って始末をした。結婚せず独居だった叔母には財産はなく、わずかな預金も大家さんへの補償などで全く残らなかったが、伯母は「あの子は金を貯め込んでいるはず、こっちにも寄こせ」と、ありもしない財産の分与をしつこく父に言ってきて、あまりにしつこいのでうちの家計から自腹で10万送金して黙らせた、ということがあったらしい。伯母とはもともと折り合いが悪かったが、父はこのことに心底怒り(そしてたぶん深く傷付き)、「俺が死んでも姉さん(伯母)には連絡するな」と言い残していた。とにかく金の亡者で、金しか信じないという感じの人。
人が死ぬとさまざまなイベントが発生し、人間の汚らしい側面を見たくなくても目にするものである。そしてそんなときでも仕事の〆切は待ってくれない。
ALS 患者の嘱託殺人容疑。ふざけるなという感じ。
ステージIVの癌を告知されたとき、父は積極的な治療はしたくないと言った。樹木希林のように生きて死にたいというのが希望だった。医師は「あの人の癌とは進行の仕方もタイプも全く違うので参考にしてはいけません」と即座に却下した。樹木希林は2005年に乳癌が見つかってから13年も生きたから、進行が緩やかだったのは確か。
医師は、何もしなければ半年くらいの余命が、抗がん剤を使う標準治療をすれば1年程度は延びると説明し、この「1年延ばす」意義は「家族と過ごす時間を延ばす」という点にある、と言って、父はその言葉に納得して治療を受け入れたようだった。人間は社会的動物で、自分は孤独だと思っている人でも、孤独死した後は社会の誰かがどうにかしてその遺体を片付けて始末を付けるしくみになっている。家族や社会の世話にならず、100%自己責任で生きて死ぬという願望は幻想にすぎない。家族を愛する気持ちと、自由人として気ままに生きたいという欲求が常に葛藤していた父は、本心では面倒くさいと思っていたかもしれないが、半分は自分のため、もう半分は家族のためと思って治療に取り組んでいたように思える。
家族である俺達は、治療はする前提でありつつ、「なるべく本人の希望に添うこと」「なるべく本人の苦痛を小さくすること」を目指した。しかし、末期癌と心臓病の二つを抱えている状態で最善手を選んでいくのは本当に難しかった。昨年末には心不全が進んで肺に水が溜まり、このままでは癌より先に心臓で死ぬという状況になって、人工弁を入れる手術をした。しかし、手術をするには抗がん剤治療をしばらく中止しなければならず、その間に癌が大きくなるリスクがあった。結果的に、手術で心臓の機能は改善したものの、手術を受けたことでの体力の消耗がかなり大きく、抗がん剤を再開できるほどまで体調が戻ることはなかった。癌が成長して噴門が閉塞し、飲食が難しくなるのをステントで拡げてしのぐとか、痛みを医療用麻薬で和らげるといった緩和ケアへと移行せざるを得なかった。ただしそれでも、胃瘻や経管栄養、酸素吸入といった措置は、管だらけで死ぬのは嫌だと本人が常々言っていたので、選ばなかった。なので最終的な直接の死因で言えば、酸素を取り込めない呼吸不全、あるいは脱水、あるいは餓死ということになるはず。苦痛を最小にする選択肢として医師と本人、我々が選んだ終末だが、それでも息を引き取った姿を早朝に見つけたときは辛かった。癌の発見から死までの全ての局面で俺達が最善手を選べたかどうか、もっと良い手を見逃していたのではないか、というのはいまだにずっと考え続けている。
治る見込みがない人と残り時間をどう過ごすか、治療や延命をどこまでやって、どこから先は介入しないか、という問題は非常に難しい。簡単に答えが出る問題ではないし、本人が「もう死にたい」と思ったとしても、本人が検討した選択肢の外にもっと良い選択肢があるかもしれない。「死にたい」という希望を安易に叶えることが最善手なのかどうかは全く保証がない。そういうことをここ1、2年考え続けざるをえなかった立場からすると、この嘱託殺人は、熟考もなく周囲との対話もなく、適当な選択肢に安易に飛び付いてしまった、命の扱い方としてきわめてずさんな事件にしか見えない。
原稿が書いても書いても終わらない。あと1本(2p)、2本(8p)、3本(14p、これはそんなに字数はないが)…。
母親ほどではないが、やはり精神的にダメージを受けている。仕事が捗らない。やたらと疲れて眠くなる。
晴れたのでネオワイズ彗星を見に秩父へ。久々に車でまとまった距離を走った。出た頃は晴れていたが、飯能を過ぎたあたりから雲が出てきて、標高が上がるほど雲が増える有様。R299 正丸トンネルの手前から刈場坂峠に上るつもりだったが、去年の台風19号で崩れたようで、道が通行止め。
仕方なくうろ覚えで正丸峠へ。上るうちにどんどん南へ連れて行かれる。正丸峠って R299 より南にあるのか。北の空が開けていないとダメなので、これでは使えない。峠まで上りきったが完全にガスっていて眺望どころではないので、下りて帰った。
圏央道狭山日高 IC の西まで戻ってきたらまた晴れ間が出てきたので、畑の畦道に入って何枚か撮ってみた。写野に入っているはずだが、液晶画面では全く確認できない。やはりもう少し暗い場所でないとダメらしい。がっかり。
1997年のヘール・ボップ彗星のときは上九一色村まで遠征したが、あのときは車を運転しながらでも余裕で彗星を視認できた。曲がったダストテイルが白い眉毛みたいだな、と思いながら運転していたのを覚えている。ヘール・ボップを超える彗星はなかなか出現しない。
しかし23年前の web コンテンツをそのまま公開している俺サイト、我ながら凄いな。
シャツの襟が擦り切れてきたので、新しい服をまとめ買い。ユニクロは全て紙袋になっていたのでレジ袋代は取られなかった。
三浦春馬。アミューズのイベントなどで歌っているのを見て、とにかく歌が異常に上手い俳優さんという印象。合掌。
藤井棋聖。素晴らしい。レーティングでは既に1位なのね。参考:shogidata.info | kishibetsu.com
父が存分に将棋を見られるように Fire TV Stick を買って Abema TV も有料で契約したが、結局あまり見る機会はなかった。死ぬ1週間ほど前、少し体調がいいときにベッドから起きてソファに移動し、横になりながら棋聖戦を少し一緒に見た。向こうの発話はもうあまり聞き取れなかったが、対局について話をした。
父のために手配した物事が結局間に合わなかったという例が多い。→ のプレゼン資料4ページ目にある癌の経過のグラフは俺の体感に非常によく一致している。悪くなるペースは遅いが、最後の最後に崖から転がり落ちるように悪くなり、昨日できたことが今日はもうできないという状況になる。参考:終末期の兆候(鳥取市立病院 総合診療科 足立誠司医師)
藤井七段は今戦っている王位戦も取ればタイトル2期獲得なので八段になる。
バイト先に復帰。都内の感染者が増えてきたということで、時差通勤制が再開されていた。再び10時出社に。遅出はいいのだが、帰宅も遅くなるからなぁ。あと、早出と遅出の人が両方いる時間が減るので、どうしても生産性が落ちる気がする。
父を送る。葬儀社のホールで、久しぶりに会う叔父たちと挨拶。焼いてきた CD をかけてもらう。しばし思い出話などをしてから、飾っている花を皆で棺に入れた。下の叔父は、燃やしてもいいようにわざわざ PET ボトル入りのウイスキーを探してきて、入れていた。心臓の手術で入院していたときに、父は病室で『徒然草』を読んでいた。昔から愛読していて、1話完結で短くまとまっていて、あまりくどくどと説明していないのが面白いのだと言っていた。これも入れた。遺品を整理していて出てきた、若い頃に読んでいたと思われる升田幸三の詰将棋の本も入れた。母は父と付き合い始めた頃に証明写真機で撮ったというツーショットの写真を入れた。
俺が挨拶をして棺を閉め、皆で霊柩車に乗せて斎場へ。途中で、よく行くホームセンターの前を通った。いつも車の誘導をしている警備のおじさんが二人いるのだが、我々の車列を見ると、全て通り過ぎるまで深々とお辞儀をしてくれた。ビバホームの従業員教育、凄いですね。
斎場にはうち以外にも4組ぐらいいた。火葬を待つ間、控室で仕出し弁当の昼食。庭にモンキチョウが飛んでいる、お父さんかもしれない、と母が言った。
お骨上げをして骨壺に納める。これも祖父のとき以来、30数年ぶり。一部の骨に緑色の色が付いていた。棺に入れた花の色素だと火葬夫の方は説明したが、何かの金属が蒸着したものだろう。癌が進行して食べ物が通りづらくなったため、父は途中から噴門にステント(金属製のカテーテルのようなもの)を入れた。それが残るかと思ったが見当たらなかった。ステントは体温で拡がるようにニチノールなどの形状記憶合金が使われる。ニチノールは融点が1200℃くらいらしい。火葬炉の温度は800-1200℃くらいなので残ってもいいはずだが、融けたか、どこかにまぎれてしまったか。
新型コロナウイルスの問題があるため、親戚の皆さんとは斎場で解散とした。本当は家に来て欲しいところだが仕方ない。
母・妹と今後の手続きのあれこれを確認し、疲れたのでファミレスで飯。平日とはいえ、予想以上のガラ空きだった。外食産業も大変だ。
会場を前日確認。明示的に葬儀という形は取らないので派手な祭壇もないが、花は多めに飾り、生前の写真や棺に入れる持ち物などを並べてくれて、寂しげにならないように工夫してくれていた。ありがたい。
坊主や牧師も呼ばないので、読経の代わりに何か BGM があった方がよかろうということで、父が好きだった音楽をかけることに。'60s のオールディーズとかビートルズとかをよく聴いていたので、そういうのを俺の CD や iTunes Store で見繕い、俺の趣味でカーペンターズなんかも入れて CD に焼いた。父方の祖父母はクリスチャンで、父は祖父母の姿を見て宗教者というものが大嫌いになったらしいのだが、そんな父でも祖母の納骨のときには自分でラジカセを墓に持って来て、Amazing Grace を流したのを覚えている。それに倣って、今回の CD にも Amazing Grace を入れた。iTunes はプレイリストの曲をまとめて CD-DA に焼いてくれる機能があって非常に便利。ただし、CD-R が家になくて、そのへんのコンビニにも売っていなくて参った。母が何かのときに買ったという CD-R が余っていたので助かった。円盤の時代は完全に終わったな。
習志野隕石。まあまあの大きさのが見つかった。kg 級の本尊がまだあるはずという話もあるが。
今日も雨。ずっと雨。今年の梅雨はしっかり降る。
斎場の空きが火曜日で、それまでずっと家に寝かせておくのもむずかしいということで、葬儀社の霊安室で保管してもらうことに。ストレッチャーで搬出して葬儀社の車に乗せ、見送り。
使い残したおむつや経口栄養剤、介護保険で借りた電動ベッドや介護用品なども、家の中にあると思い出してしまうからということで、訪問看護さんや業者さんが早めに来て片付けてくれた。妹も毎日来て母に付いていてくれてありがたい。
父の病気は胃癌。先月75歳になったところだった。食道から胃に入る入口(噴門部)にできた癌で、2018年11月に見つかった。発見時に既にリンパ節や腹膜にも転移していて、ステージIVという最も末期の段階だった。
そもそもは狭心症があり、肺にも COPD があって、それの治療をずっとしながら働いていたのだが、数年前にその診察でレントゲンに影が見つかり、内視鏡検査をしたところ、内視鏡がつかえて入らないということがあった。何かおかしいので改めて詳しい検査をしましょうということになっていたが、父は検査をしなかった。職場の定期健診でも再検査を受けるよう毎年通知をもらっていたようだが、無視していたようだ(父の持ち物を整理していたら、その通知書が出てきたと先日母が言っていた)。そのまま半年だか1年放置して、今度は何だか貧血がひどいということで改めて診察を受けて癌が見つかったという感じ。癌はおそらく10年単位で成長したものだろうと医師は言っていた。
この段階になると切除してもしなくても余命は変わらないため、手術はせずに抗がん剤での治療となった。余命は、短い人と長い人で桁が違うような非常に分散の大きな分布になるので、平均値や中央値にあまり意味があるわけではないが、一応中央値で言うと、何もしなければ6か月、治療をすれば1年半までは延びるだろうというのが医師の見立てだった。ステージIVの胃癌の5年生存率は、俺が調べたときには約15%という数字だった。サイコロを1回振って1の目が出るかどうか、くらいの確率になる。それくらいの可能性に俺達はこれから賭けるぞ、という説明を、父と母にはした。結果的に1年8か月ほど生きたので、ほぼ初期の推定通りだったことになる。
癌を告知されてから一度、母がネットで検索して「癌が消える」食品みたいなものを見つけてきて、これはどうだろうと相談してきたことがあった。癌に効く薬は全世界の研究者が血眼になって探し求めているもので、もし本当に効くんだったらまたたく間に治験が行われてオプジーボのように保険適用で使えるようになるはずで、そうなっていないものには一切効果はない、と説明した。スティーブ・ジョブズや小林麻央が代替医療にすがった結果どうなったかも説明した。その後、父も母も代替医療の類にはまらなかったのは幸いだった。
久々のブラタモリ。出演者が冬の服装。3月収録らしい。
いつも通り、夜半過ぎまで何だかんだとやって起きていた。4時半ごろ、机でうとうとしていると、母が「お父さんが」と泣きながら部屋に駆け込んできた。父のベッドの横に布団を敷いて寝ていた母が、トイレに行くために起きて、ふと父の顔を見たら呼吸が止まり、体もすでに硬くなっていたという。父は穏やかな顔をしていた。背中の下はまだ温かかった。苦しそうな表情ではなかったのがせめてもの救い。
万一の時は119番ではなく訪問介護ステーションに連絡するように、と言われていたので、電話をかけて状況を説明。来てもらった。訪問看護の看護師さんは自宅にいて、連絡があれば自家用車で24時間いつでも出動するという体制らしい。大変なお仕事だ。看護師さんなので正式な死亡診断はしないが、バイタルサインや心音・瞳孔をチェックして、体を清拭し、衣服を着替えさせてくれた。顔も整えてくれた。
看護師さんが清拭をしてくれているときに、蛍光灯がぱちぱちと点滅し始めた。何年も替えていないのにこのタイミングで切れるとは。まあ偶然なんだろうけど、父が最後の挨拶をしているのかも、などと非科学的なことをどうしても考えてしまう。
9時頃、先生が来て死亡確認。今日明日ではないという話だったが、意外と早く来てしまった。昨夜、酸素と輸液の話をしたのが最後になってしまった。そんなことよりもっと聞いておくべきことがたくさんあったはずなのにな。まあでもよく頑張った。しんどかったと思う。
バイト先に1週間ほど休む連絡。こんなときだが、今日も明日も Zoom 取材がある。やらないと食えないのでやるしかない。
Zoom 取材を終えて、葬儀社の手配。近所にホールがある葬儀社に来てもらって見積をもらったが、高い。宗教や儀礼を嫌う父だったので無宗教の簡素な弔いをするつもりで、市役所が提供している、いわゆる市民葬のパッケージで見積をお願いしたのだが、市民葬自体は \99,000 とか \220,000 で設定されているのに、「これはあくまで基本料金ですから」ということで何だかんだと上乗せされて、トータルで70万とか80万になってしまう。おかしいでしょ。このくらい取らないと商売として成立しないのかもしれないが、市民葬の意義とは全く相容れない気がする。
さすがに、100万近い金銭を費やすのは意味がない、父のポリシーにも合わないと母も言うので、むかーし祖父の葬儀を頼んだ地元の葬儀社に連絡してみた。直葬や家族葬のプランもあると web サイトに書かれている。連絡をしたら、「うちに本決まりになるかどうかは別として、とりあえずすぐに冷やさないと」ということで、ドライアイスを持って急いで来てくれた。初期対応として、とにかくご遺体を十分に冷やすことが最優先、と葬儀葬祭 ch の佐藤さんも言ってたな。7月だし。寝かせている部屋のエアコンも20℃くらいでかけっぱなしにするのがよいとのこと。
家族のみだし直葬に近いプランでいいので、と伝え、トータル50万ちょいに収まった。大して儲かる案件ではないはずだが、嫌な顔をせず細々と対応していただき、大変ありがたかった。ということで、狭山市で葬儀をする方はミツギさんにお願いするといいです。30年以上前、祖父のときもミツギさんに頼んだという話をしたら、「その頃は市内にうちくらいしか葬儀社がなかったですからね」と言っていた。今は市内に10社以上あり、格安を謳うネット上の業者もたくさんあるが、親身になって要望に応えてくれるのは、結局、昔から地元でずっと商売を続けることができている、こういう業者さんなのかも。
仕事を半休にして、午前中に往診してくれる先生の診察に立ち会い。SpO2 が 85% くらい。酸素吸入をすべきか考えていたが、それほど辛そうな表情ではないということで見送った。輸液もせず。水も食物もずっと摂れていないので母は輸液を強く希望していたが、心不全も抱えているので急激に水分を点滴すると肺に水が溜まって呼吸できなくなる可能性がある。先週までは利尿剤を飲めていたので比較的安全だったが、今はそれも飲めなくなっているのでリスクが高いかもということで、輸液も見送り。「以前の点滴の際に本人が苦しく感じなかったのであればやってもいいけど、5時間くらいかけてゆっくり入れなければならないのでそれも大変でしょう」とのこと。
帰りがけに先生に今後の見通しを聞く。「今日明日ということはないと思うが、呼吸の仕方が変わってきたので今週中だと思う」とのこと。
午後から仕事へ。せっかく出たのにあまり仕事がなかった。新刊の発売周期に連動しているので、だいたい月初めは暇で、月末が忙しい。
夜、水が欲しいというので、口腔清掃用のスポンジに水を含ませて飲ませる。母がやってあげていたが、途中から「自分でやる」とばかりにスポンジの棒を自ら手に取って、何度もチューチュー吸って飲んだ。ここしばらく飲んでいた量に比べてだいぶ多く飲んだ。
水を飲んで声が出るようになったので、酸素と輸液のことを聞いてみた。昨年末に心臓弁膜症が悪化したときに、肺に水が溜まって呼吸が苦しくなる経験を父はしている。年明けに手術をして人工弁を入れたのだが、その後も自己判断で勝手に利尿剤をやめてしまい、水が溜まって息苦しくなるというのを何度も繰り返した。あれがずいぶんきつかったようで、同じリスクがあるなら輸液はしない方がいい、と答えた。酸素吸入の方も、口にずっと酸素マスクが付きっぱなしになるというのは「悩ましいな」と答えた。「とりあえず、今日はなしでいってみる」と言ったので、「分かった」と俺は答えた。
新暦の七夕だが、特に感慨もない。七夕行事を新暦の 7/7 にやるところって、逆にあるのだろうか。
仕事に出かけるときに、父の肩に手を置いて「じゃあ、仕事行ってくるよ」と声をかけたら、はっと正気に戻った顔をして、「うん」と頷いた。終末期になると「せん妄」というのがどうしても出る。意識レベルが下がってくるせいと、父の場合は鎮痛剤として医療用麻薬を使っているのでそれも原因になる。幻覚・幻聴が出たり、猜疑心が強くなったり、暴れる人もいる。父の場合はそういう粗暴になる症状はないので助かっているが、指先から何かを取る仕草をずっとしていたり、手を空中に上げて何かをつかもうとしたり、訪問看護のスタッフさんが来たときに、吊してある上着のポケットに財布が入っているので、盗られないように上着を隠して欲しいと母に言ったりする。
だが、起きている間はずっとそんな感じなのに、ときどきふと正気に戻る瞬間がある。俺と話をするときや、昨日甥っ子(孫たち)に会ったときがそう。父親や祖父という「役割」を身に纏おうとするせいか、本当に不思議なくらいパッとスイッチが切り替わって理性的に受け答えをする。母といるときにはこのスイッチは入らない。社会や家族での役割を離れてそのままの人間をさらけ出せる相手は、母しかいないのかもしれない。
『智恵子抄』の「レモン哀歌」で、死の床にある智恵子がレモンをかじり、正気を取り戻して微笑むという描写がある。学生の頃にこれを読んだときには、統合失調症を患っている智恵子がそんなレモンの香りだけで正気に戻るものだろうか、と理解できなかった。あれも、せん妄が解けた瞬間を光太郎は詠んだのかもしれない、と思ったり。
欧州より妹一家来訪。旦那が数年ごとに行使できる帰国の権利を使い、全員の飛行機代を会社持ちにして帰ってきてくれた。もともとテレワーク主体の体制になっているため、こっちでも仕事はできるということらしい。空港で全員検査して陰性だったとのこと。とはいえ、帰国後2週間の自宅隔離期間中なので、家には上がらず庭から窓越しでの対面。甥っ子の顔を見た父は嬉しそうだった。あんなに笑った顔はもう数か月見ていないな、と思うくらいに喜んでいた。
リハビリへ。いつ来ても満車。いつもリハビリ後は激しく腹が減るので帰りに少し飲食したりするが、今日は早めに帰る。
散髪。馬場まで出る余裕がないのでまた地元で切る。
20時と同時に小池百合子当確。まあヤバい失政もないし、負ける理由がないからな。
キャスター付きの小さな椅子を注文したのが今日届いたが、おむつ運用になってしまったので使うことはなさそう。
本日発売の『星ナビ』8月号にて、クルードラゴンによる米国有人飛行の記事を 2p 書きました。よろしければご覧ください。Web の書き仕事は既に再開しているが、雑誌の仕事は怪我以降これが初かな。約3か月ぶり。
自力歩行はほぼ無理になった。おむつ運用へ移行。数日単位で機能が衰えていく。
夜でも1時間おきに目を覚ましてトイレに行こうとするので介助が必要。母がやっていたが、連日はさすがにきつそうだったので俺が代わった。原稿を書きつつ、起き出してきたら付き添う。もはやつかまり歩きも危ういので、両手を持つか背負うような形にして運ぶ。トイレに座らせて、やれやれ一段落と思って仕事に戻ると、トイレの中でドンと大きな音がする。声をかけて戸を開けると、パンツの上げ下ろしでよろけてトイレの床に転倒している。行きは自力歩行できても、排泄自体で体力を消耗してしまって帰りは歩けないということもある。そのへんの椅子に座らせ、椅子の脚を無理矢理2本持ち上げて滑らせて移動。こういうのが1時間ごとにあると、これはきつい。寝られないし。せめてキャスター付きの椅子があればいいのだが。
ハイオクガソリン、実は混合。こだわって特定の銘柄だけ入れていた人にとってはひどい話。まあ、出先でいつものスタンドが見つからなくて別会社のガソリンを入れれば、結局燃料タンクの中で混ざってしまうわけではあるが。
公園で昼食をとると日焼けする季節がやってきた。
月初めはバイト先が暇で、今日はただ座っているだけの時間が計4時間にもなった。これだけ空き時間があればやりたいことがたくさんあるのだが…。座っているだけでも時給は発生しているので、内職はさすがにできない。
今日校正した本は職場向けの心理学というか、事業のパフォーマンスを落とさずに従業員の精神衛生をいかに保つかみたいなやつだった。経営者側を想定読者として書かれているため、読んでいるとなかなか鬱になった。人事査定をどうするかとか、できない従業員をどうするかとか、恨まれないような肩叩きの仕方とか、そんな話。糞である。いろいろ思い出してしまった。くそ。
あそこを辞めるには本当にいろいろあったんだけど、あるとき残業していたら、社員全員の給与の金額が書かれた書類がなぜかコピー機に置き忘れられていたことがあった。あれを見て、上の人たちの中に、あんなに仕事ができないのに勤続年数が長いだけでこんなにもらってるのか、という人がいる事実を知ってしまって、馬鹿馬鹿しくなって非常にモチベーションが下がったということがあった。あれ、1部ずつコピーして全員の机の上に置いといてやればよかったな(バレます)。
あとまぁ、後から入ってきた人に職位的に追い越されたというのもあった。優秀な人だし貢献度も大きかったからあの人事自体に異存はないが、それにひきかえこっちはどーして…という気持ちはあった。長年にわたっていろいろ貢献してきたつもりだったが、評価されてなかったな。かといって「もっとこうして欲しい」というリクエストが来るわけでもなく、黙って冷遇されるんだよ。俺の直属の上司の人も似たような扱いを受けていたと思う。そのうち別の部が一つ作られて、直属の上司の人と俺はセットでそれまでの部から分離された。ああいう気持ち悪さは、いたたまれなかったな。
…みたいな思い出がフラッシュバックしてしまって、しんどい一日であった。
火球。友人のS氏(小金井市?在住)曰く、「事故か? とカーテンを開けたくらいには圧のある音だった」。すげーな。
レジ袋有料化初日。毎朝立ち寄るコンビニで袋を要るか聞かれたので、普通に3円払って買った。マイバッグ(幻の 2/26 東京ドームで買った洒落トート)も持ち歩いてはいるのだが、コンビニの支払いオペレーションの中でとっさにマイバッグを出して商品を詰めるというのはめんどくさい。スーパーマーケットならありだが。5年ぐらいしたらまた無料に戻るんじゃないだろうか。
ディスカバリーチャンネルのサバイバル番組を愛視聴している自分の印象では、海岸に漂着するプラスチックで圧倒的に多いのはPETボトル。あと漁網、ロープ、発泡スチロール、釣り糸、ビーチサンダルなど。ベアやエドがレジ袋を拾って使うシーンは見た記憶がない。
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