5月31日(金) シンクロ率 30 %

RIJFES 5次先行で当選。やたー。今年は 8/4(日)のみ。たぶん電車で行って電車で帰る。

RIJFES の出演アーティスト、まだまだ安藤モアらしいので林檎さんの出演にも期待。俺が行く日に出て欲しいけど、宮本浩次が 8/10、エレカシが 8/12 らしいので、浩次とデュエットとかやるんならこのどっちかになるのかなぁ。

『三毒史』の CD をリッピングしようとしたらディスクがドライブから吐き出されてしまう。よーく見たら、間違えて『不惑の余裕』の BD をセットしていた。すごく CD っぽいケースの方が BD で、すごく BD っぽいケースの方が CD だった。

5月30日(木) シンクロ率 29 %

ヤマダ電機の裏にある皇琲亭に初めて入ってみた。混んでいなくてよい。珈琲とケーキで1,200円を超える値段のおかげかも。完全分煙になっているのもよい。ブレンドコーヒーは少しだけ酸っぱい。壁際の席に座ったが、座席が非常に硬い。客の回転率を上げるために座り心地の悪い椅子を使う喫茶店は多いが、それにしてもここのは疲れる。季節限定の日向夏のレアチーズケーキは大変美味しかった。総合的にはかなりよいお店だが、ほいほい入れるお値段ではないな。

5月29日(水) シンクロ率 29 %

朝から炭酸を飲んだら腹が膨らんで腹痛に。350mLは多い。

先日のタイタンの論文について、コレスポさんにメールで質問してみたら返事が来た。経度を180度間違えていた、Nature に言ってそのうち図を直す、とのこと。Nature Astronomy は referred journal のはずだが、レフェリーも見逃してたということか。

チバニアン認定を妨害している楡井久氏の2012年の講演の書き起こしを見た。

地震モデルの学説には、千葉県の地質環境学が生んだ地震モデル(yビーム地震帯)と中央の権威を持つ地震モデル(プレート・テクトニクス)といった二つがあります。両者ともあくまでも仮説です。千葉県は中央の権威ある仮説モデルを使っています。千葉県では、私が一生懸命に頑張ってきて、こういうモデル(yビーム地震帯)があるではないかと言いますと、誰も否定できませんでした。そして、今回の3.11地震でも中央の権威あるモデルではなく、千葉県のモデルの正しさが実証されています。しかし、中央の権威あるモデルでないと使いません。これもさびしい話です。国民が、権威に不信感を持ち、社会不安に落ちいっている内因は、そのような点にもあると思います。

プレート・テクトニクス仮説については、NHK、岩波出版をはじめ、色々な場面で説明がされています。輸入仮説ですから、当然国外でもこの仮説が主流をなしています。しかし、その仮説のみで日本列島の成因を論じてよいのか。また、学問は矛盾から発展するので、千葉県民は外国の仮説の軍門に下るのか?千葉県誕生の仮説を学び実証することに挑むのか?または、全く別現象の錯覚かも知れません?今後の千葉県の学術・文化活動をも左右すると思われます。

ああ、プレートテクトニクス否定派か…(察し)。

地学団体研究会(地団研)という、地学研究・地学教育の中で左翼運動をやっていこうという団体があって、ここが反プレートテクトニクスのキャンペーンを1970年代にやっていた。おっさんの俺にとってももうリアルタイムでは経験していない話だが。彼らの運動のせいで日本の地球科学コミュニティではプレートテクトニクスの受容が遅れたというが数年前に話題になった。地団研は今もあって、構成員は1960年代以降は一貫して小中高の教員が最も多数を占めているようである。←の PDF は2001年の地団研の刊行物『地学教育と科学運動』の抜粋だが、会員の「階級性」とか「闘争心」とか、21世紀に書かれたとは思えないワードが満載で味わい深い。でまぁ結局楡井氏も、過去に執筆した文献や学会講演のリストを眺めると、そちら方面と親和性が高い人物のようである。今回の妨害も、彼にとっては「闘争」の一環なのかもしれない。

自然科学の他の分野でこういう左翼運動の残滓を感じることはあまりない(素粒子物理の益川さんくらい)が、地球科学ではフィールドワークが重要な要素になっていて、アマチュアや教員でも歩き回って露頭からサンプルを採って地質図を描けば論文っぽい何かを生産できるということもあり、左翼思想を連綿と受け継いだ地学教員が今も業界の一部でマダガスカル沖のシーラカンスのように居場所を確保しているようだ。まあ別に、地学の話だけやってくれればどんな思想を持っていようと構わないのだが、科学の場に科学以外のものを持ち込もうとする人にはどうも害をなす人物が多い印象(個人の感想です)。

チバニアンについては、「何としても日本発の命名をしたい」みたいなのは浅ましいし科学的本質と関係ないので自分はあまり興味がない。模式地として千葉が最良なら千葉にすればいいし、イタリアの方がよければイタリアでよい。ただし命名するなら "Chibian" または "Chiban" の方がラテン語の語尾変化として正しいんじゃないの、というのはに書いた通り。

5月28日(火) シンクロ率 30 %

タリーズ

42本目にしてタリーズようやく当選。頑張った。もらったシールも結構あり。ありがとうございました。

はずれが40ポイントくらいあるが、5ポイントで dTV 動画1週間見放題らしいので8週間は見られるらしい。dTV 動画が何なのかよく分かっていないが。

鑑賞に実時間を要する動画のようなコンテンツに24時間中の1時間なり2時間なりを費やすのは、自分にとっては非常に贅沢な選択肢になりつつある。買ったまま観ていないものがたくさん積んである。YouTube も倍速で観るのが普通になってきた。いいことなのか悪いことなのか分からない。

5月27日(月) シンクロ率 31 %

林檎さん@ユニカビジョン

新宿塔へ。『三毒史』と『林檎博 '18 不惑の余裕』を購入。ポスターもらった。ちゃんとB2判じゃん。スピードくじは参加賞のポストカードだった。店内に衣装も展示されていた。新宿店の名誉店長だからね。

夕方から古巣仕事2日目。何とか収拾が付いたようである。

5月26日(日) シンクロ率 28 %

Newton 2019年 07 月号

古巣仕事。いまだについ先頭車両に乗ってしまうが、代々木八幡駅は改良工事によって2両目が階段に最も近くなった。慣れない。

Wさんと屋上で Starlink を見てみるが、都心の光害の下では見えず。Wさんのカメラにも写っていなかった。飛行機はたくさん写っていたが。

帰宅して宅校。やべぇな、今月は2冊作るくらいの労力が要る。終わらん。

本日発売の『Newton』7月号にて、先日の EHT によるブラックホールシャドウ撮影の解説記事を 4p 書きました。本間先生・川島先生にも取材。よろしければお読みください。「Cosmic Wonder」コーナーはスピッツァー宇宙望遠鏡の画像を 10p 紹介。こちらもよろ。

読者欄で過去の担当記事の感想をいただいていてありがたい。

結局、子供の頃の自分に向けて書いているようなところがある。運動が嫌いで同級生と遊ぶのも億劫で、暇さえあれば図書室に行って本を借りて読んでいた。物語や小説も嫌いで、図鑑やノンフィクションばかり読んでいた。人が作った作り話なんかわざわざ読んで何か面白いんだろうと思っていた。あの頃の自分と似たような少数派の子がきっと今もたくさんいて、そういう子達の誰かが自分の書いたものを読んで、自分と同じように道を踏み外してくれるといいなと思いながらいろいろ書いている。

5月24日(金) シンクロ率 29 %

宅校。己の記憶と手癖だけでつらつら書くと USODARAKE になることがある。気を付けねば。

西洋・東洋というのは、(語源的には違うが現在の認識では)ウラル山脈でユーラシア大陸を分けて東西、みたいなことになっている。このように、球体表面の「東西」はどの子午線を境にするかを言わないと一意には決まらない。で、「タイタンの西半分/東半分」と言われてもなぁ、どっから見ての東・西よ? と思ったのだが、これについては答があった。タイタンは自転と公転がロックしていて、常に同じ面を土星に向けている(惑星の衛星や主星のすぐそばを回る系外惑星にはこういうやつが多い)。こういう天体の場合、主星に一番近い点を通る子午線を経度0度と定義して、自転で先行する側 (leading hemisphere) を東半球、自転で遅れる側 (trailing hemisphere) を西半球と定義するようだ。

元論文の図を見て、あれ、大きな海があるのは西半球なの? と混乱したのだが、他の地図を見ると東半球で合っているようだ。論文の図では経度0度の位置と目盛の方向が間違っている気がする。うーむ。

5月23日(木) シンクロ率 30 %

もう1本納品。

帰りの埼京線が止まっていたので茶を飲んで待つ。

塩パンの、ほぼシェル構造で外形が占める体積のほぼすべてが空気なところ、ほんと詐欺的だなと思うけど、あると買ってしまう。

仕事用のノートとしてコクヨの「ス-TUN5P-5」を長年使っている。5mm方眼で図も文字も書きやすいのと、小さくて場所を取らないのが良い。ページが終わりに近づいたので数年ぶりに買おうとしたら、何と生産終了。今流通している分で終わりらしい。amazon で5冊セットがまだ売られていたので買った。10年くらいは持つだろう。

5月19日(日) シンクロ率 28 %

原稿を1本納品。

タリーズの無糖カフェラテについては、PET の「スムースラテ」よりボトル缶の「バリスタズラテ」の方が好きな味なのだが、後者は俺の生活圏内であまり見かけないのが残念。そして懸賞はまだ当たらない。どうなってるの。飲み過ぎて尿路結石になりたくないよ。

コーヒーにミルクを入れた方が、シュウ酸の吸収が抑えられるので結石の予防効果を期待できるらしい。ブラックよりはカフェラテの方が少しリスクは小さそう。

5月16日(木) シンクロ率 27 %

久々に駅ナカの店へ。モデルさんみたいな店員さんが今日もいた。

Red Bull Air Race World Championship。エアロバティクス(曲技飛行)パイロットとして有名なロシアのスヴェトラナ・キャパニナさん。普通の曲技飛行パイロットは飛行時間3000〜4000時間の経験を積むが、キャパニナ姐さんは800時間くらいしか飛んでいないのに世界チャンピオンになってしまった天才、らしい。プーチンから勲章をもらっている。くそかっこいい。レッドブルエアレースの会場で飛んでいるが、彼女自身はエアレースはやっていない。ゲスト出演でのエキシビションか。アクションカムでコクピット内を撮っているが、飛行機がロールしたときにカメラが機体に付いてこず、地面に固定された視点になるのがめちゃかっこいい。コークスクリュー形のスモークを残して機体と彼女がぐるんぐるん回る。ジャイロを使ったジンバルか何かにカメラを載せているんだろうか。

ソチオリンピックでのデモ飛行の動画もいい。離陸から着陸までノーカットなので長いが、演技は16:30あたりからいきなり始まる。左手がスロットルで右手が操縦桿、あと両足にペダル。操縦桿を前後に動かすと昇降舵が動いて機首上げ下げ。左右に動かすと補助翼が動いてロール。ペダルを踏むと方向舵が動いてヨー。なのだが、曲技飛行中の操縦は見ていてもわけわからん。垂直に上昇していきなりスロットルを引いて失速させて自由落下からスロットル全開してロールとか。しかもそれを無線で会話しながらやってたり。

キャパニナ姐さんへのインタビュー。facebook で質問を募集したものらしい。英語字幕をロシア人が付けたせいか少し変だが、いろいろ興味深い話が聞ける(世界に発信する英語力なんてこんなもんでいいんだよな)。彼女が飛ぶことをいかに愛しているかが分かる。曰く、飛行中に機体が不調になったことは何度もあったが、幸い緊急脱出してパラシュートで降りたことは一度もない。好きな機体は断然スホーイ。レッドブルエアレースに出場を誘われたこともあるが、エアレースをやるとエアロバティクスの "classics" を忘れてしまいそうなのと、スホーイで出場できないのでやらない。…というようなことをおっしゃっているようだ。

5月13日(月) シンクロ率 28 %

よく分からないまま仕事をして寝不足。

娯楽としての「イラッとする話」や「イラッとした後スカッとする話」が巷に溢れていて、掘れば掘るほど際限なく見つかる。喜怒哀楽の振幅を安直に増大させる話は少しずつ心身を蝕むハードドラッグなので、遠ざけた方がよい。そういうのを次々にdigっている自分に気づいたら、デバイスの電源を落としてしばらく外に散歩に出るとよい。人生のお供には、習慣性はあるが実害の少ない Perfume 動画や川口千里動画や明治ヨーグレットなどのソフトドラッグをお勧めしたい。

5月12日(日) シンクロ率 29 %

女子ドラマー界隈の有名人として、川口千里ちゃんの6歳くらい下に佐藤奏ちゃんがいる。NHK の『ムジカ・ピッコリーノ』にもレギュラー出演している。人気ではこの二人がツートップのようだ。どちらが上手いのかはよく分からない。俺は千里ちゃんの演奏の方が好きだが、奏ちゃんの方がいいという人もいる。優劣を付けたがる人達は必ずいるものだが、ゴッホとルーベンスのどっちが上かみたいな話であまり意味がない。今でも千里ちゃんが奏ちゃんのライブを観に行ったりしているようだ。

二人がそれぞれ16歳のときに Brecker Brothers の『Some Skunk Funk』を演奏した動画が YouTube に上がっている。同じ曲を同年齢のときに演奏した映像なので、見比べるといろいろ興味深い。

同じ曲でもこれだけ解釈やアプローチが違うというのが面白い。テンポも違う。千里ちゃんは手数と音量で圧倒し、ライブ演奏の一回性・偶然性の楽しさを見せる。奏ちゃんは正確に叩いて原曲の持つ気持ちよさを堪能させる。どちらも見飽きない。

上の千里ちゃんの動画のちょうど1年前に、二人がツインドラムで『Some Skunk Funk』をやった動画もある。千里ちゃんが15歳で奏ちゃんが9歳。このときは年上の千里ちゃんが気遣って奏ちゃんに合わせてる感じ。こういうライブを無料で定期的に見られるとは、ビナウォークは素晴らしい。

5月11日(土) シンクロ率 31 %

相変わらず川口千里ちゃんの動画を見ている。昨年10月にパリで行われたドラムフェスでの演奏。ほとばしる衝動が素晴らしい。海外での演奏ではこのポップコーン柄のワンピースをよく着ている。首のところが付け襟になってて可愛いよねー。12:00あたりで左隅に映り込む観客の男性がドラムソロに引き込まれてだんだん笑顔になっていくのが好き。13:58あたりで乱打しすぎてスティックをすっ飛ばしちゃうのもいい。足元にスティックバッグを置いていて、スリップしたり折れたりしてもすぐに次のを取り出して演奏を続けるのがカッコいい。別の動画でもスティックを折っていたが、コメ欄で「このくらいドラムが上達すると自由にスティックを召喚できる魔法が使えるようになるんだな」というコメントがあって笑った。

千里ちゃんの『壬申の乱』の演奏をカバーする米国の女の子。眼鏡をかけて本を読む小芝居までコピー。しかしこうして見比べると千里ちゃんの演奏がいかに正確かが分かる。

5月10日(金) シンクロ率 33 %

ちゃあぽん

N社方面の紹介で、15分ほど J-WAVE でブラックホールの話をした。radiko のタイムフリーで1週間くらいは聴けるらしい。よろしければご笑聴ください。

短い時間でとんとん進めなければならないせいか、担当の方から事前に「今回の EHT での撮影成功の意義は?」「BH に入るとどうなるの?」のような質問が10問ほど送られてきて、こちらが返送した答がほぼ台本になるという形だった。

出番の45分前に六本木ヒルズ森タワーLL階で待ち合わせ。番組ADさんらしき方が迎えに来て、オフィスフロア内へ。33階のJ-WAVE社屋で放送作家さんと打合せをして、もう出番。いろんな専門家が呼ばれて旬の話題を解説するコーナーだが、前回の放送を聴くと、MC のアンジャッシュ渡部氏とゲストが台本通りっぽい質疑応答をしているだけで、どうにも渡部氏がつまんなそうだったので、もう少し生っぽいやり取りが発生するように児嶋さんの話なども入れてみた。後で twitter を見たらちょっとウケたような感想も散見されたので、無味乾燥な解説よりは良かったかなと思う。児嶋さんありがとうございます。渡部氏も、俺が緊張して事前の台本から飛ばしてしまった事柄を補足するようにごく自然に質問を入れてくれて、さすがプロであった。

ラジオのブースに入るのはもちろん人生初だが、J-WAVE は森タワーの33階にあるので見晴らしは最高。ブースには渡部氏と放送作家さんと俺の3人が入った。目の前にヘッドホンが置いてあったが、付けても付けなくてもいいですとのこと。あと、マイクの音量を上げ下げする例のスライダーもあったが、それもいじらなくていいと言われた。そういうのはガラスの向こうで副調整室の人がやるわけね。マイクを保持するアームの先端にはスリックの自由雲台が付いていて、マイクはそこに取り付けられていた。

曲をかけている間に AD さん?が入ってきて、web に載せる記念写真を iPhone でぱっぱと撮影。俺のコーナーが終わると、さっき副調整室で所在なさげに立っていたお姉さんがブースに入ってきて、俺の隣に座ったと思ったら、道路交通情報を読み上げ始めた。交通情報って日本道路交通情報センターから放送してるんじゃなかったのか。お姉さんが出ていって CM になり、俺の出番も終了。AD さんに付き添われてビルの下まで送ってもらってさようなら。全てが流れ作業のように最適化されていた。

今回俺が関わった人は、ディレクターっぽい人と放送作家さんとADさん。あと、交通情報のお姉さん、副調整室の人が2、3人いた。単に音声コンテンツを生で流すだけなのにこれだけの人が関わっていると考えると、まあオールドメディアだなとも思う。YouTuber なら自分とゲストだけでやってしまうのだろう。

ちゃあぽんのポスター。最近あちこちで見かける。地元駅にも貼られている。

5月9日(木) シンクロ率 28 %

寒気が入ったせいか、5月にしては乾燥している。また鼻血が始まって憂鬱。

池袋西武の書籍館へ向かう地下通路にイタリア風のカフェのテーブルが置かれている。ずっと前からある店だが、一度もここで飲食をしたことがなかったので入ってみた。「入って」といってもほぼオープンスペースなのだが、適当に座ると店員さんが注文を取りに来るしくみらしい。パニーニと紅茶で2,000円も取られた。俺のようなプロレタリアの行く店ではなかった。

谷山・志村予想の志村五郎さん死去。国内の新聞の報道は死去から数日後で、扱いはベタ記事だった。あの志村五郎ですら一般紙の報道はこんなものである。

5月6日(火) シンクロ率 29 %

クレマチス

クレマチス咲く。

よく分からない連休が終わった。そして仕事は進んでいない。

久しぶりに細い月が撮れた。月齢 1.5 だったらしい。

月

5月3日(金) シンクロ率 31 %

自動車保険を更新。特に何も変わらず。

市から風疹の抗体検査と予防接種のお知らせが来た。ようやく、昭和37年4月2日から昭和54年4月1日の間に生まれた男性も無料でできるようになったらしい。俺は子供の頃に罹ったはずだが、早めに検査に行ってこよう。

抗体検査の結果はインフルエンザのようにその場で出るのではなく、3日から長くて2週間ほどかかる模様。病院に2回行く必要があるというのが市の案内に書かれていなくて不親切。

5月2日(木) シンクロ率 29 %

平成[1-9]年頃の本を引っぱり出してみる其ノ弐。丸善『理科年表』平成2年(1990年)版。平成元年末の発売なので高校2年のときに買ったものか。

理科年表

天文部91「主な光学大望遠鏡」。当時の口径世界一はソ連のゼレンチュクスカヤにある口径6m反射経緯台。主鏡に問題があって科学的成果はあまり得られなかったとの評判。ソ連はゴルバチョフ書記長の時代で、1989年5月に訪中、6月に天安門事件、11月にベルリンの壁崩壊という年。すばる望遠鏡はまだ「JNLT」というプロジェクト名で呼ばれていて、建設は始まっていなかった。現在のリストと比べると感慨深い。

主な光学大望遠鏡

上の表で、口径3.6mで第8位に入っているイラクの「建設中」の望遠鏡というのを今回初めて知った。クルド自治区内のコレク山(2,127m)の山頂にアルビル天文台というのが1970年代に建設されたらしい。サダム・フセインの前の大統領の時代。イラク戦争終結前の2006年に『Scientific American』がこの天文台を取材した記事が載っている。口径30mの電波望遠鏡と1.25m、3.5mの光学望遠鏡が計画されていて、電波望遠鏡と1.25mの方は完成して試験までこぎ着けたが、1985年のイラン・イラク戦争と1991年の湾岸戦争でミサイルの標的となって電波望遠鏡と3.5mのドームが破壊された。1.25m望遠鏡の設備は略奪されてほとんど残っていない。3.5m望遠鏡は輸送用の箱に移されてバグダッドに避難させたが、取材時点では中身が無事かどうかは確認できていないとのこと(望遠鏡自体の所在は分かっているのか、記事の文面ではいまいち不明)。この取材で撮影されたと思われる動画が YouTube に上がっている。穴の空いたドームが痛々しい。米国の研究者がドームを修理して新たに6m級の望遠鏡を設置する計画を進めている、という話で記事が終わっているが、イラクはこの後もアルカイダと IS に蹂躙されたので、現在どうなっているのかは謎。アルビルはわりと治安が良いようで、Google Maps で見ると、コレク山にリゾート開発が入ったりしている。天文台の施設もそのまま残っているようだ。

1988年に打ち上げられた人工天体の一覧。何と言ってもソ連のコスモス衛星の多さですよ。軍事衛星などいろいろな衛星が含まれているが、当時は「コスモス○号」という名前しか公表されず正体不明だった。遠地点高度 Q や近地点高度 q が低くて数日で落下しているやつは偵察衛星であろう。同じ日に打ち上げられて軌道要素も似通っているやつは1発のロケットで同時打ち上げされたピギーバック衛星と思われる。それにしても多いな。週3、4回上げている時期もある。当時のソ連が宇宙に費やしていたリソースがいかに凄かったかが窺い知れる。

人工天体

最近発見された彗星。アルファベット1字で仮符号が足りていた時代。その後、1994年にシューメーカー・レビー第9彗星が木星に衝突するという現象がきっかけとなって、地球に衝突する可能性のある小天体を自動観測望遠鏡で根こそぎ発見するという太陽系小天体のサーベイプロジェクトが多数動き始めた。これによって年間の彗星発見数は増えたが、新発見のほとんどがサーベイプロジェクトによるものとなり、アマチュアの個人が新彗星の発見者になる例はかなり減ってしまった。

最近発見された彗星

5月1日(水) シンクロ率 31 %

寝て過ごす。

「令和」という単語を口に出すのが気恥ずかしくなくなるのはいつだろう。そういえば前回の改元のときも、最初「平成」という単語を使うことに何か恥ずかしさがあったような気もする。1か月前まで存在すらしていなかった言葉を全国民が当然のように連呼し始めるムーブメントに自分が乗っかることの気恥ずかしさ、みたいな感じ。

おっさんの懐古は見苦しいと承知の上で、まあ区切りのタイミングなので平成[1-9]年頃の本を引っぱり出してみる。『Oh!PC』1992年(平成4年)3月15日号。当時はソフトバンクといえば PC ソフト流通と出版の会社だった。

Oh!PC

表2は NEC の広告。DOS/V は OS としては存在していたものの、Compaq などが PC/AT 互換機を日本で売り始めるのはこれの数か月後。NEC PC-9801 が輝いていた最後の時代。大江千里。

NEC

Windows 3.0 は触った記憶がない。'93年発売の Windows 3.1 は使った。3.x は DOS の上で動いていたので、MS-DOS 5.0/3.3C の FD もみんな普通に持っていた。

目次

富士写真フイルムの 2HD フロッピーディスク。森口博子。だぴょ〜ん。そういえばバイト先の先輩(50代後半)が、驚いたときに今でも「ゲロゲロ!」って言うんですけど、どうすればいいですかね。

富士写真フイルム

「遙かなるオーガスタ」。八木山香澄町にあったS君のアパートに遊びに行って、彼の PC-9801FA でこれを遊びまくっていた大学時代の想い出。

遙かなるオーガスタ

忘れかけていたが、Word と Excel というのは Windows の普及とともにシェアを広げていった後発ソフトであって、DOS の時代はワープロといえばジャストシステムの「一太郎」、表計算は Lotus の「1-2-3」だった。

ソフトバンク新刊

「SASI と SCSI って何のこと?」「コプロを積めば一太郎は速くなるの?」死語だらけの世界。

周辺機器 for PC-9801

メモリ空間が 1MB までという 8086 の制限をいろいろな小細工で回避してたくさんメモリを使うためのボード。8MB 増やすのに5万円。今は(Jobs/Apple のおかげか)古い規格を容赦なく切り捨てていくようになったが、当時は後方互換性にやたらと固執して温泉旅館化しているアーキテクチャがいろいろあった。

RAM ボード

パソコン通信における「ダウンロード」の解説。PC-VAN と NIFTY-Serve とアスキーネット PCS の解説が載っている。1992年時点ではインターネットはまだ大学や研究機関を接続していただけで、商用 ISP は存在しなかったはず。一般庶民はパソコン通信で遊んでいた時代。俺は NIFTY に入っていた。

パソコン通信

編集後記の内容でどういう時代だったか何となく分かる。発行人はもちろん孫正義。

奥付

後ろはひたすらパソコンショップの広告ページ。消えた店も多いが、ソフマップはビックカメラ傘下に変わったもののいまだ健在。グラビアアイドルイベントのメッカになるとは当時は想像もしなかった。

ソフマップ

表3の広告はキヤノン。'92年3月の雑誌なので、このウィリアムズのマシンは'91年シーズンの FW14 と思われる。マンセルが car No.5、パトレーゼが No.6 の時代。ポルトガル GP でマンセルのタイヤが取れちゃった頃ですね。'92年シーズンからアクティブサスを搭載した FW14B が登場。2年後にセナが亡くなった。

その前ページはローランド。布袋さんがイベントに来たらしい。

ローランド、キヤノン

2019 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2018 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2017 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2016 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2015 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2014 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2013 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2012 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2011 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2010 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2009 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2008 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2007 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2006 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2005 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2004 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2003 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2002 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2001 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2000 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
1999 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12