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例えばペプシコーラを買いに行ってコカコーラしか無かった場合、
手に入る物で間に合わせては絶対にいけない。
本来欲しい物が見つかるまで探すか、
諦めて手ぶらで帰るかである。
自分の本当の望みが何であるかについて誤魔化しを続けると、
最終的に人生を見失う。
マップカメラで 18-135mm 購入。D90 かなんかのキットレンズになっているやつで VR も付いていないが、とにかく軽いのがいい。400g しない。
また靴底が減って脚が痛くなってきたので新しいのを購入。同じ型の靴をこれで3足め。
ウォシュレット編を TV で見た。
埼玉県知事選の投票を完全に忘れていた。まあ上田清司が負ける要因がないので結果は自明ですが。
頭痛がするので早寝。
女子力編を TV で見た。女子力って原子力に似てるよね。女子力発電とかできないもんかね。女川原子力は縮めると女子力になりそうだね。
新潟・福島で豪雨らしい。
チャットモンチーから高橋久美子脱退。えええ。スリーピースバンドで一人抜けるのはでかすぎるな。しかしそれでも解散を選ばなかった残り二人の覚悟は尊敬する。
carino 氏がいなくなって俺の中で mixi が完全に終わりかけている。
小松左京と伊良部と rei harakami が死んだ日。
『アインシュタイン その生涯と宇宙 下巻』のレビューに翻訳者の松田卓也さんご本人が降臨してひどい翻訳になっている理由を説明。経緯を読むと結局この出版社の社長が一番悪いような気もする。あと、本だからこれだけ話題になったが、製品以前の品質のものを分かっていながら発売してしまう例ってソフトウェアではよくあるよな、と思ったり。全く笑えない。
蒸し暑い。台風以来全然晴れないんですが。
コード書きをやめて一日作文。いいフレーズが出てこない。
「カーズ2」CM。4種類もあるのか。
D7000 来た。ストラップも買った。ファインダーの視度調整とかフォーカスポイントを動かせるとか、D40 に比べて痒いところに手が届く様々な機能が嬉しい。D7000 に 24-120mm を付けると重過ぎるので付けっぱなし用に軽くてそこそこ焦点域の広いズームレンズが欲しいが、ちょうどいいのがなかなかない。
KSC でたくさん見た黒い不吉な鳥はクロコンドルという鳥だったらしい。死骸やゴミをついばむという習性はまさに我々が見た通り。
中国は人の命の値段が安い国だな。まあこの安さがあるからこそ世界の工場たりうるんだろうけど。今回のことが中国共産党の終わりの始まりになって、ついでに国が二つか三つに分裂して内戦でもやってしぼんでくれればちょうどいい。あの国の膨張主義はうざ過ぎる。
意外にも賞与出る。今年そんなの出して大丈夫か、と逆に心配になる。
「PS」休刊。残念です。雑誌はどこも大変だな。Perfume の連載企画ありがとう。
LHC でヒッグス粒子由来のイベントが見えた? wktk。
ハッブルがルメートルの論文を改竄していた? 1927年、ルメートルはブリュッセル科学会年報という紀要に膨張宇宙のアイデアを記した論文を書いた。銀河の赤方偏移から求めた後退速度が距離と相関していること、フリードマン方程式を解くと不安定な解(膨張解)が得られることなどを論じた重要な論文で、銀河の後退速度から宇宙の膨張率を見積もるというハッブル定数と同じ数式も書かれていた。ハッブルが銀河の観測に基づいてほぼ同じ内容(ハッブルの法則とハッブル定数)の論文を出したのは1929年。ルメートルの方がハッブルより2年早く、また観測事実だけでなくその理論的解釈についても論じていた。しかしルメートルの論文はベルギーの学会紀要という地味な雑誌にフランス語で投稿されたためベルギー国外にはほとんど知られることがなかった。ハッブルの論文が出た翌年の1930年になって、エディントンがルメートルの論文にコメントを付けて MNRAS に紹介し、一般相対論に基づいて銀河の後退速度の問題を綺麗に説明した、と賞賛したことで初めてルメートルの業績が英語圏の人々にも広く知られるところとなった。翌1931年にはルメートルの1927年のオリジナル論文の英訳が MNRAS に掲載された。しかしこの英訳では、ルメートルが宇宙の膨張率を見積もった重要な数式がなぜか割愛されている。このときの翻訳者が誰だったのかは分かっていないが、これがハッブルまたはハッブルの同調者によって故意に削除されたものではないか、という話が持ち上がっているらしい。つまり、宇宙膨張の発見をハッブルの手柄にしておきたい人物が故意にルメートルの論文の重要な箇所を削って載せたのでは、ということですね。改竄説を述べている文書には、ルメートルのオリジナルのどこが英訳で落とされたか、具体的に画像で載っている。うーん、何とも言えないな。抄録ということで冗長な部分を削ったようにも見える。
ノルウェーの事件のせいか、銃を撃つ男から逃げ回る夢を見た。
D7000 をポチった。キャッシュバックを入れて実質 \74.9k。10年使います。
ISS から撮影されたアトランティスの大気圏再突入。すげーな。この火の玉の中に人間が乗ってて、それを上から撮っているこちら (ISS) 側にも人間がいる。21世紀すげーな。
寝たり起きたり。やっぱり体内時計がなんかおかしい。
録画していた「ひみつの嵐ちゃん!」を見る。表情豊かだなぁ。のっちのハの字眉力。かしゆかさんは最近よくぶつぶつができているので、苦手な野菜をなるべく食べてよく寝た方がいいと思う。もしくはプロアクティブ。
あやしい放射能対策。放射能を排出させると称して米のとぎ汁で乳酸菌を繁殖させて子供の肺に吸入させたり目に点眼したり離乳食にしたりする人たち。狂っている。乳酸菌にそんな効能はないし、こんな方法で繁殖するのはただの雑菌。それを肺に入れれば肺炎になりかねない。目に入れれば結膜炎になるし食べれば食中毒になる(運が良ければ何も起きないかもしれんが)。科学と疑似科学を区別できる自信がない人は、せめてたくさんの意見を集めてゆっくり判断する努力をしよう。慌てて子供に雑菌を食わせる前に。
会議がしんどい。まだ形が見えない。
地球ニュートリノ。地球内部の熱源のうち放射性元素の崩壊熱の寄与は半分、残り半分は微惑星が衝突合体して地球ができたときの熱とのこと。つまり地熱エネルギーの起源は崩壊熱と微惑星のポテンシャルエネルギー。どうせこれもニュートリノ振動で半分になってるだけなんじゃないの、と思ったがそれはちゃんと考慮されていた。
ああ、なんか直った。昨日のアイデアは見当違いだったが原因は分かった。俺が書いた所じゃなかった。
土曜丑の日につき鰻弁当を食べる。うまい。オリジン弁当だけどね。
Lion は最初のアップデートが出るまで待つ。
STS-135 帰還。これで終わった。子供の頃、世の中の大抵のものは自分の物心付く前から存在しているものだったが、年を取るにつれ、自分が始まりを知っているものが終わりを迎えるという場面に立ち会うことが増える。スペースシャトルは自分にとって間違いなくアイドルだった。銀色で尖っているという宇宙船のイメージを覆す、耐熱タイルに覆われた白と黒のオービター。Helvetica で書かれた「United States」の文字。コンピュータディスプレイのあるコックピット。ペイロードベイとロボットアーム。100回繰り返し使えるというコンセプト。全てがクールだった。1981年の夏休み、地元の七夕まつりにシャトルの大きな飾りがあった。絵の宿題でこの飾りを描いたら市の七夕まつり絵画コンクールで特選をもらった。絵を描くのはわりと好きでその後も何度か入選をいただいたが、特選はあの一度きりだった。人が最高にいいものを生み出す原動力は「好きこそものの上手なれ」という点に尽きる、ということを知ったきっかけだった。二度の事故でたくさんの飛行士が亡くなり、松浦氏の著作などを通じてあれは有人宇宙船として必ずしも最適なシステムではないと思うようにもなったが、それでもやはり自分にとってはアイドルだった。最後の打上げを見ることができて幸運だった。今までありがとう。
分からん。全然分からん。帰宅して風呂に入っているときに一つ思い付いた。明日試す。
ドーンがベスタ周回軌道に。めでたい。これまで誰も見たことのない画像を探査機が送ってくるときはいつでも楽しい。ベスタは細かい皺のような谷がたくさんあって確かに天王星の衛星ミランダに似ている。他の500km級衛星との比較画像を見ると、大きい天体ほど球に近づくわけではないことが分かって興味深い。他の小惑星との大きさ比較も面白い。メインベルト天体の周回軌道への投入はこれが世界初(イトカワはメインベルト小惑星ではない)という言い方もあるが、このサイズ比較を見ると難易度という意味ではイトカワへの接近の方がベスタよりも桁違いに難しいだろうと実感する。
「ベスタはメインベルト小惑星の中でケレスに次いで2番目に重い」とよくしれっと書かれているが、「衛星も回っていない小惑星の質量がどうしてそんなに精密に分かるんだよ?」とケプラーの法則を学んだボーイズンガールズは普通疑問に思いますよね。ということで調べた。ベスタは (197) アレーテという別の小惑星と18年周期で会合する。アレーテの軌道はベスタの外側だが、近日点付近だけベスタより内側に入る(海王星と冥王星の軌道に似ている)。しかも面白いことに、両者は軌道が最も近づく点で必ず会合し、そのときの距離はわずか 0.04 AU しかない。これは軌道共鳴なのかな。それともアレーテがベスタのインパクト片起源なのか…。この会合の際の摂動を観測することで1966年にベスタの質量を求めることができたらしい。小惑星の質量が求められたのはこれが最初とのこと。へー。
あと、「ベスタは小惑星なのに内部が地殻・マントル・核に分化している」ともしばしば書かれているが、「地震波も計れないのにどうしてそんな内部構造が分かるんだよ?」と高校地学でモホ面とか覚えたボーイズンガールズは当然疑問に思いますよね。ということで調べた。こっちはよく分からない。ベスタのサイズは撮像観測で分かるので、これと上記で求めた質量から平均密度が分かる。この密度が全部岩石とするには重すぎるということから金属の核やマントルがあると推定される、という話のようだ。
浴衣 Perfume。かしゆかの髪はこれどうなってるの。丸めて隠してるの?
起きたら女子サッカーがえらいことになっていた。世界一か…。オヅラさんの番組でダイジェストを見る。あの状況で最後まで気持ちが折れないのが凄い。あと米国のワンバックの怖さは異常。何であの体格であんなスピードが出るんだ。
打ち合わせで消耗。
原田芳雄さん死去。残念の一言。個人的にはやはり「独眼竜政宗」の最上義光役だなぁ。こんなかっこいい俳優がいるのか、と子供心にショックを受けた。しかも石橋蓮司が柳生宗矩だったんだよな。今考えても凄い配役だ。またタモリ電車倶楽部に出て欲しかったのに。
新宿塔にて南波志帆、バニラビーンズをラブ・フラゲ。
ようやく体内時計が JST に合ってきた。
HEY!x3 の録画がちょうど Perfume の歌の手前で停止していた。死のう。最近どうも録画運が低下している。
深夜に豪雨。
朝帰りして風呂に入ってそのまま出勤。少し日本を離れている間に、
一日中メールの処理。午後は時差ぼけで全く使い物にならず。
旅行最終日。オーランド空港に入っている KSC の売店でダメ押しの土産を買う。STS-135 のTシャツを着ていたらショップのレジのおじさんに「そのTシャツいいね」とか「コーズウェイで見たの?」とかいろいろ聞かれた。
オーランドからアトランタへ。アトランタからデトロイトへ。デトロイトから羽田へ。最後の羽田便のゲートで「座席のテーブルが壊れているので別の席に代わって欲しい」と言われ、非常口前の席に変更して搭乗。ここで面倒なことが発生。女校長先生のようなパーサーが来て「緊急時には避難の補助をお願いできますか?」と俺に質問したらしいのだが、早口だったので聞き取れなかった。ここで "I'm sorry?" とか言えば良かったのだが、とっさに "What?" とちょっと不躾な感じで聞き返してしまった。さらに、何度聞いても分からなかったので半笑いで「やべー、何言ってるか分からん」と日本語でつぶやいたらこれがパーサーのおばさんの機嫌をいたく損ねたらしく、ちょっとむっとした表情に変わった。隣にいた日本人の女性が「緊急時に助けてくれますか、と言っています」と親切に教えてくれたので「ああなるほど、Yes.」と言ったが納得してもらえず、機内電話で何か話し始め、「後ろの人と席を替われ」と言われた。ああ、馬鹿っぽく見えたか、まあしょうがない、と一つ後ろの米国人男性と席をチェンジ。元々そっちの都合で非常口前に替わったのに何でまた移動しなきゃならないんだよ、という気もしたが、この校長先生のようなおばさんとあと半日一緒にいなければならないのでめんどくさい事態は避けようと理性的に判断。日本人の CA さんもいたから呼んで話を聞いてくれれば良かったのに。まあ緊急時に言葉が通じない奴がいたら困るという判断も分からんではないが。劣等感を抱えつつ、後ろでおとなしく寝たり機内食を食ったり iPad でドーム DVD を見たりして過ごした。
羽田便になるとさすがに日本人客が多い。通路を通った日本人のおっさんが俺の頭に肘をぶつけたが何も言わずに通り過ぎた。ああ、Excuse me も I'm sorry もない、ろくでもない子供の国日本に帰ってきたんだな、と懐かしく感じた。米国は飯は死ぬほどまずいが成熟した大人の社会という気がする。人々の心に余裕がある。どちらがいいのか分からん。
日付変更線を越えて13日1時 JST 頃羽田着。少し遅れたとかで航空会社がリムジンバスを用意していたのでこれで新宿駅へ移動。ここからタクシーで会社へ。荷物を下ろして始発で帰宅。
朝食ビュフェ2日目。KさんFさんは「あの内容なら食う必要ない」と自分の備蓄食料で済ませたらしい。自分はベーグル+クリームチーズ+シリアル+牛乳+オレンジジュース。
今日は St. Augustine という昔の町を観光。なんかアメリカで一番古い町らしいよ。またKさん運転のレンタカーにて。Interstate 4号でデイトナビーチまで、そこから95号を北上。
Interstate Highway はさすがに交通量が多い。でも渋滞はない。米国のハイウェイには SA/PA がない。出口を出ると GS 付きのセブンイレブンや Subway がある。通行料はほぼ無料なので出たいときに出てまた乗ればいい。
レンタカーのドアミラーに書かれている注意書き。「鏡に映ったものは見た目より近くにいます」。
ものすごい積乱雲がいるなーと思ったらいきなり豪雨。フロリダの雨は突然大量に来る。
St. Augustine はこんな感じ。観光地化しているという意味では日光や箱根に近い。そして蠅が多い。
2番目は「しかめっ面で歩くの禁止」かと思ったが「スケボー禁止」だったらしい。
Kさんが「スペインの旧植民地なんだからスペイン料理が食いたい」ということで探したがそんな店はなく、"Scarlett OHaras" という名前の普通のレストランバーへ。自分はチーズバーガーを注文。チーズの種類と肉の焼き加減を聞かれる。いちいち細かいオプションを聞いてくれるのはサービスとしてはありがたいが、英語があまり聞き取れないので苦労する。味はまあまあ。肉に味がない。自分で塩胡椒を振れということらしい。
KさんFさんは蒸し牡蠣を注文。メニューに "Half Bucket" とか書いてあって何のことかと思ったら牡蠣がブリキのバケツで出てきた。身は小さめ。Fさんがビールを注文したらバーテンダーのお姉さんから「ID を見せて」と言われた。パスポートを見せたらびっくりしていた。未成年に間違えられる?0代。
市街はこんな感じでスペイン風?の建物がたくさん。矢印信号が3色あって戸惑う。赤矢印は「一時停止後に曲がれ」か。
町を歩いていたら突然の雷雨。1時間ほど公園の東屋で雨宿り。この地域の雨は降っているエリアの「輪郭」がくっきりしている。100m先で滝のような豪雨になっているが自分の位置ではまだ降っていない、というケースがある。不思議だ。子供が雨の中で濡れてはしゃいでいた。ここで一緒に雨宿りをしていた米国人から震災と津波について聞かれた。しかしこちらのテレビで現在の東日本の震災被害や原発事故のその後について報じられることは自分が見た範囲では全くなかった。まあそりゃそうだ。
雨が上がったのでサン・マルコス砦へ。スペインが築いた要塞らしい。豪雨の後のかんかん照りで蒸し暑さが半端ない。
大砲を撃つ実演もあり。もちろん空砲である。兵隊さんのコスチュームが暑そう。
要塞の石材はこの辺で採れる coquina と呼ばれる堆積岩。貝殻が堆積してかっちりした石灰岩になる手前くらいのやわらかい石。砲弾が着弾しても粉砕されずにめり込むという効果もあったらしい。
海に架かる橋はかなり交通量が多いが跳ね橋になっていた。橋が開くときには手前の信号が赤になる。
近くの灯台に寄ってホテルに帰還。夕飯はホテル近くの中華料理店。中華料理は世界中どこでも間違いないと聞いていたが、ここの中華は期待したものとは違っていた。
これで一人 $25 取られた。中国系の客も来てわりと繁盛していたのが理解できない。
初めてホテルの朝食ビュフェへ行ってみる。中庭のプールサイドで飯が食える。のはいいが、ラインナップがパンとベーグルとシリアルと飲み物くらい。おかずがないよ。パンに付けるクリームチーズが辛うじて蛋白質。シリアルにかける牛乳は普通の牛乳とスキムミルク(脱脂粉乳)の2種類が用意されている。米国人の乳脂肪分に対するこだわりは異常。お前らあれだけチーズバーガーやコーラや砂糖を摂ってるのに、朝だけ low fat milk や skim 飲んだってしょうがないだろ。Kさんが「このスキムミルクは危険」と言うので少しもらって飲んだ。酸っぱい。「ヨーグルトの上澄み液ってこんな味だよな」とKさん。確かに。ということでシリアルには普通の牛乳をかけた。こちらは(乳脂肪少なめで水っぽいが)正常な味。米国の食べ物の味には「うまい」「まずい」の他に「生命の危険を感じる」という分類があることを知った。
朝食後、Kさん運転のレンタカーで再び KSC ビジターセンターへ。昨日見られなかったアトラクションを見る。(以下、嫌がらせのように画像が続きますが、いつか見たいと30年思っていた夢をかなえた記録なので空気を読まずに連貼りします。)
打上げ成功を報じる昨晩のニュース。打上げ確率30%というオッズに見事打ち勝った!ということでしょうか。
車窓の風景。オーランドから KSC まで、延々とこんな風景が続く。何も使われていない原野、または牧場、または森。途中に原発もあった。
最初にビジターセンターの少し手前にある「宇宙飛行士の殿堂」に行ってみたが、開館時間前で入れず。隣には「警察の殿堂」もあった。水野晴郎が間違いなく来ていると予想。
KSC ビジターセンター着。ここの駐車場は 1 から 7 まであり、それぞれに「マーキュリー7」の飛行士の名前が付いている。ここケネディではマーキュリー7の七人は神なのです。
STS-135 ののぼり。ビジターセンターのあちこちに掲げられている。
こちらはシャトルの打上げ体験アトラクションののぼり。"get vertical" という語感がちょっと面白かった。
まずは KSC 内を循環しているバスツアーへ。このバスが15分おきに KSC 場内を定期運行している。
バスから見える VAB。下りて写真を撮りたいが残念ながらここには下ろしてくれない。
組み上げたシャトルを乗せて VAB から発射台まで運ぶクローラー。サターン V もこれで運んだはず。
バスはまず 39A 発射台近くの展望台に停車。この展望台の1階にはスペースシャトルのメインエンジンが梵鐘のようにぶらさがっています。
昨日シャトルが打ち上げられた 39A 発射台を望む。もっと発射台のそばまで行けるオプショナルツアーもあるようです。
KSC 周辺にはこの黒い鳥がたくさんいる。道端で鹿の死体をついばんだりしていた。名前が分からないので「不吉な鳥」と呼ぶことにした。KSC 全体が国立公園の中にあるため、動植物の宝庫になっています。池にはアリゲーターもいます。
展望台からまたバスに乗ってサターン V センターへ移動。その途中でもう一度 VAB 前を通過。中に入ってみたいものだ…。あまりにも巨大なため、湿気の多い日には屋内の天井近くに「雲」ができるという伝説もある。
ここがサターン V センター。初めはシャッターが閉まっていて入れないのです。人数がまとまると扉が開いて次の部屋に入れる。そこにはスクリーンがあって、'60年代の宇宙開発競争でソ連に先んじられた「敗北の歴史」が語られます。そしてケネディの "We choose to go to the Moon" の演説の映像が流れ、アポロ計画はこうして始まった…とばかりに次の部屋に案内されます。次の部屋にはアポロ計画のミッションコントロールルームが作られていて、サターン V の打上げシーケンスが臨場感溢れる演出で再現されます。そしていよいよ最後の扉が開くと…
ばばーんとサターン V ロケットが登場! 大きさと質感に圧倒される。この演出は凄い。「JAXA の広報担当者はここを見るべきだ」とKさん。
第1段。平たい板と波板が使われていますが、タンクの接合部分には波板を使って強度を確保しているようです。
月着陸成功を報じた各国の新聞が展示されていた。「紫の石がある」なんて話あったっけ。
第2段。推力は 5MN とのことなので、この第2段のみで H-IIA の第1段エンジン LE-7A + SRB-A 2本と同じくらいの推力を発生することになります。
平均的宇宙飛行士のスペック。最後の "Corvettes: 1" は笑う所でしょう。
第3段。第2段で5基クラスターで使われていた J-1 エンジンが1基使われている。LE-7A と同じくらいの推力。
サンドイッチとオレンジジュース、ヨーグルトパフェを食った。こんなのでも $15 くらい取られた。ジャンクフードは安いがジャンクでないバランスの良いものを食べようとすると高くなる気がする。ヨーグルトパフェがまた甘ったるくて凹んだ。明治のヨーグレットを液体にした味がする。
月面車。これはレプリカかなぁ。ゴムタイヤを履いていますが、実際の月面車のタイヤは金属のワイヤーでできていたはず。
アポロ14号で使われた月面用カート。これの実物が見られるとは! 個人的にはこれはかなりツボ。
司令船・機械船。これでようやくサターン V の先端まで来た。面白いものがいっぱいあるのでここまでたどり着くのにえらい時間がかかる。
月面で宇宙服の腕に付けて使ったチェックリスト。岩石採集の方法が書かれているようだ。
アポロ7号だか8号のフライトテストで使われた書類。"Landing in Apollo is a crash!" とはどういう意味かよく分かりませんが、このミッションは着陸ミッションではないので landing は墜落を意味する、という意味かな。
アポロの宇宙服。宇宙服は施設のあちこちに展示されている。4体くらい見た。
ここからバスでビジターセンターに戻る。中庭に展示されているオービターの模型を見物。これはその耐熱タイル。
続いて、事故で殉職した宇宙飛行士のモニュメントへ。亡くなった飛行士の名前が巨大な御影石に刻まれている。
過去に亡くなったアメリカの飛行士のレリーフ。誰かが死んだらそのたびに作り直すんでしょうか。
この後はショップでお土産を買いあさり、IMAX シアターで HST の 3D 映画を見た。ナレーションがレオナルド・ディカプリオだった。ほとんど寝ていたが。ロケットガーデンと月。結局閉館まで一日いてしまった。これでもまだ見ていないアトラクションがたくさんある。
以上、宇宙マニアなら一日いても飽きないボリューム。もう1日来てもいいくらいだったな。写真を撮っていないが、これ以外にも NASA の職員が現在のミッションについてブリーフィングしてくれて何でも質問に答えてくれるという硬派なアトラクションもあり、客はみんな真剣に聞き入り熱心に質問していた。宇宙飛行士と直接会って話ができるコーナーもある。このビジターセンターは NASA の運営ではなく、民間会社が経営していて税金は一切入っていない(運営費は全て入場料や売店の上がりで賄っている)とのこと。そのせいか、本気で客を楽しませようという姿勢が凄い。JAXA が50年かかっても追いつかないレベル。まあ楽しませるだけの素材を持っている強みもあるんだが。
ホテルに戻って夕食は近所の Red Lobster へ。イケメンの黒人のお兄ちゃんが serve してくれた。カニのパスタとサラダを食べる。もちろんハーフサイズで。やはりハーフが日本の一人前くらい。これはまあまあ美味かった。もう少しパスタは固ゆででもいいが。そしてここでもコーラは無料で何杯でもおかわり OK。
早朝2時過ぎにシャトル見学ツアーのバスがホテルまで迎えに来た。打上げは 11:26 だが大混雑が予想されるので NASA からの指示でこの時間になったらしい。ツアーガイドの後藤さんの話では外部燃料タンクへの燃料注入は始まっている由。打上げは決行のようだ。
5時頃 KSC のビジターセンター着。ここは一般向けのテーマパークになっている。入口で金属探知器による厳重なチェックあり。6:30 再集合で自由行動。ロケットガーデンやその周辺を見て回る。
入口を抜けたところにある NASA マーク。この有名なロゴマークは "meatball" と呼ばれている。僕らが子供の頃はこれじゃなくて "worm" というニックネームが付いたニョロニョロッとしたロゴだった。1986年にチャレンジャーの事故が起きた後、NASA の組織や体制を見直す過程で昔のマークに戻されたと記憶している。後ろにあるのはシャトルの後継とされるオリオン宇宙船のカプセル。
ロケットガーデン。米国の宇宙開発初期に上げたロケットが展示されている。これはマーキュリー計画で使われたレッドストーン。
ジェミニ計画で使われたタイタン II。シルバーの機体と2基クラスターの第1段エンジンというちょっと他と違うルックスが個人的に好きなロケット。レッドストーンもタイタンも ICBM を転用したロケットです。
サターン IB。「何だよ、サターン V じゃないのかよ」と見に来た人にがっかりされてしまうかわいそうな機体だが、アポロ計画初期の試験飛行やアポロ7号の有人飛行、スカイラブ計画、アポロ・ソユーズ計画を担ったそれなりに重要なロケットです。
ロバート・ゴダードが作った世界初の液体燃料ロケット。宇宙開発の歴史に必ず登場する重要なロケットですが、どこからどこまでがロケット本体なのかいまだに分からない。黒い部分は支柱で真ん中の銀色のフレームがロケットなんだと思うが、燃料は上と下どちらの筒に入っていたのか、とか。
マーキュリー計画で使われたミッションコントロールルーム。表示デバイスに時代を感じる。LED や LCD はないので全て電球の入ったパネル。あとブラウン管。ニキシー管はあったと思うけど見える範囲には使われてないかな。
売店で買った七面鳥とチーズのサンドイッチが非常に美味かった。今回の旅で一番美味かった食べ物かもしれない。売店にはホットドッグ用にケチャップとマスタードのボトルが置いてあるが、これがまたお徳用シャンプーのような巨大なポンプ式容器。米国人はこのポンプを何度も何度も押してソーセージが見えなくなるくらいケチャップをかけるんだよ。やつらの舌はおかしい。
再集合してツアーバスに乗り込み、射点から約9km離れたコーズウェイという場所に移動。ここで打上げを見る。
KSC ビジターセンターの看板。シャトルが終わった後、この看板の先っぽはどうするんだろう。
バスから見えた機体組立棟 (VAB)。高さ160m。現在はシャトルの組み上げに使われているが、元々はアポロ計画当時にあの巨大なサターン V ロケットを垂直に組むために作られた建物である。どういう基準でかは不明だが一応「世界一大きな建物」であると言われている。
バスに乗り込んでから動き出すまで1時間半くらい待たされ、ようやく出発して約30分でコーズウェイに到着。ここは NASA のチケットがないと入れない場所。ただしマスメディアや VIP のいる場所よりはかなり遠いので松竹梅の竹ランクという感じ。チケットを持たない大多数の見物客はこれよりさらに遠くの道路などで見ている。コーズウェイ上空は曇りだがところどころ青空もあり、雷雲が来る心配はなさそう。かなりの数の見物客がいるが敷地はそれ以上に広く、日本の花火見物に比べればかなり余裕がある。射点のシャトルは一応肉眼でも見える。さて、シャトルはどこでしょう?(正解はパノラマ画像をクリック)
ちなみに APS-C のカメラで 300mm で撮るとこのくらい。
適当な場所を決めて撮影準備。三脚を立てた地面に1996年の25セント硬貨が落ちていた。過去に打上げを見に来た人が落としたものか。コーズウェイに来た記念に持ち帰る。
KさんFさんと三人で分担を決め、自分はビデオ担当に。(なので自分のカメラでは打上げの瞬間は撮っていない。)後ろのスピーカーで打上げコントロールの交信がずっと流れている。打上げ約45分前に T-9分のホールドに入った。ここまで全く順調。雲が薄くなって暑くなってきた。
11:10 頃、いよいよ打上げ可否の最終判断、いわゆる Go/No Go poll の時間。打上げ前の最も高揚する瞬間。"OTC?" "OTC is Go." "TBC?" "TBC is Go." ... すべてのセクションから Go の返答があり、続けて射場の天気の担当者にも確認。女性の声で「射場の天候に問題はありません」の回答がスピーカーから流れると、見学者から一斉に歓声が上がった。一番心配だった天気もクリア! もう打上げを阻むものは何もない! 行くぞ! という雰囲気に。そして T-9分のホールド解除。秒読みが進む。
2分前、外部燃料タンクの先端から排気用のアームがゆっくり外されるのがビデオのファインダーから見える。1分前、いよいよか、と思っていると、スピーカーから何やら秒読み以外の交信がたくさん流れてきた。秒読みが止まってしまったようだ。シャトルの打上げウィンドウは10分間しかない。打上げ予定時刻はウィンドウの中央に設定されているので、遅れは5分しか許されない。5分経っても上げられなければ打上げは翌日に延期となる。ウィンドウが閉まっちゃう〜、とファインダーを覗きながらじりじり待っていると、"3, 2, 1, Mark." の声。よく分かっていなかったがこのときに31秒前から秒読みが再開されていた。そして "10, 9, 8," のカウントダウン。「おぅ、ここからか?!」と慌てて覚悟を決める。周りも大歓声。"5, 4," くらいでファインダーの中でシャトルがボワッと白煙に包まれて見えなくなり、"Lift off!" のアナウンスの後、煙の頂上からまばゆいオレンジ色の炎とともに上昇してきた。速い。ビデオで必死に追いかける。そして雲の中に入って見えなくなった。と同時にバリバリバリッと雷のような爆音。後に残った白煙の柱がだんだん崩れて消えていく。あっという間に終わった。
このとき撮ったビデオのキャプチャ。Xacti を貸してくれたOさんに感謝。
射点から 9km 離れているので30秒経たないと音が届かない。よって打上げのクライマックスはほぼ無音。不思議な感じだった。しかしあの SRB のオレンジ色の炎の明るさと上昇する機体の圧倒的なスピードは凄い。人間が重力に抗して宇宙に出ることの大変さを思い知る。達成感とともに「これで終わった」というちょっと寂しい気持ち。
帰り道は大渋滞。バスがなかなか進まない中、窓からの直射日光と足のむくみでしんどかった。晩飯はスーパーマーケットのさらに隣にあるステーキ&サラダバーと称する店へ。$10 でステーキやサラダやスープなどいろいろ食べ放題。早速 sirloin steak と書かれている肉を取ってきて食う。肉が白くて固くて筋っぽい。これサーロインか。肉汁も全くない。いわゆる「ビーチサンダルの底」を食っている状態。オリーブ油とニンニクのソースに浸かっていたのでソースの味はするが…。他にも鶏の手羽やピラフやいろいろ食ってみたがどれも微妙な味。サラダだけは生野菜+ドレッシングなので期待通りの味がした。この国でまともな味の食料にありつくにはなるべく生の素材に近いものにアクセスするしかないと悟った。あと、どこの店でもそうだが飲み物にコーラを頼むと無料で何杯でもおかわりを持ってくる(1杯がでかいので2杯でたくさんだけどな)。この国ではコーラは水に準ずる液体らしい。
ホテルに戻って早速お腹が急降下。きっと変な肉を食ってコーラを2杯も飲んだせいだ。テレビを見て寝る。
タクシーで早朝に羽田着。約12時間飛行機に乗って同日早朝にデトロイト着。途中カナダあたりで窓から星が見えた。北極星やカシオペヤが日本より多少高いかなと思ったが、低緯度に行くのと違って普段見ない星座が見えるわけではないのでそれほど面白くはない。同行したKさんはオーロラが撮れたらしい。
デトロイト空港は搭乗ゲート間を結ぶトラムが屋内を走っているのが面白い。あと構内のサインがなぜか英語と日本語の表記。中韓は書かれていない。日本からの便が多いのか。
デトロイトからさらに3時間ほど飛んでオーランド着。ホテルに向かう途中にデニーズがあったので初の米国本土飯。パンケーキを食った。でかい。味はまあまあ。食っている最中にものすごい雷雨。このへんは毎日こういう雷雨が来るらしい。明日の打上げにこれが来ないことを祈る。
デニーズ。注文したバーガーとパンケーキはもちろんハーフサイズ。人物は今回の旅に誘ってくれたKさんFさん。
ホテルに着いてシャワーを浴びてしばし休憩。備え付けのタオルは少し黒ずんで臭いがお湯が正常に出るのはありがたい。部屋に有線 LAN があると聞いていたがどこにもない。ロビーに Wi-Fi の AP があったがこちらもなぜかつながらず。使用者が多すぎたらしい。ネット難民。ホテルのすぐ隣にスーパーマーケットがあるので明日の見物のために食料を買い出し。極端に甘いものか極端に脂の多いものか極端に量の多いものしかない。ミネラルウォーターとドライフルーツの杏を購入。晩飯は食わずに寝る。打上げ確率はやはり30%の予想。
出社前に外貨両替。現金と T/C で $300 ずつ。
会社泊。久しぶりに近所の銭湯へ。450円。広い湯船はいい。
遠征の買い出し。物を増やさないようにしなければ。
ついでにプレゼント購入など。女の子に何をあげればいいか毎回悩む。
6月13日北大木村氏:放射能汚染について-NHK ETV 放射能汚染地図の様子など (1)、(2)。原子力情報資料室 (CNIC) がやった動画配信?の文字起こし。例の ETV の番組で福島を走り回って放射線測定をした木村真三さんへのインタビュー。読み応えがある。ゴム製の雨合羽は防護服の代用として非常に便利。しかも再利用できる。表土を剥がして線量を下げる対策については賛成だが、その場で混ぜて埋めてしまうと地中に放射性物質を浸透させて地下水を汚染してしまうので良くない、剥いだ表土は原発敷地内に集める方が良いという見解。
寝溜め。
ヒストリーチャンネルでまた「映像の世紀」をやるらしい。SD 時代に一度録画したがスカパー!HD でまた録っておくべきか。元が SD 制作だろうから意味ない気もするが。
tumblr で見た St Kilda 島に行ってみたい。
少し進んだ。
リコーが PENTAX 買収。確かにリコーはかつて K マウント一眼レフを出してたわ。変態メーカーとしての遺伝子を受け継いで頑張って欲しいものです。リコーにとっては一眼レフと「PENTAX」の看板が手に入ってウマーって感じか。GXR と PENTAX Q は「コンデジサイズの筐体で一眼並みのユーザー体験を」という意味ではカブるわけだが、どうするんだろう。Q はとにかく小さい筐体が欲しい人向け、GXR は APS-C が使いたい変態な人向けということかな。まああんまりそのへんは深く考えてないのかもしれないが。
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