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このような空想上の単独の
磁極のことを磁気単極子
夕日が綺麗だった。駅から出てきた人々がみんな撮っている。こんな時に限って望遠レンズを家に置いてきてしまった。
昼間の惑星。月金木水土日。スケールはちゃんと統一されているようなので、これで実際の視直径通りのようだ。木星が土星より暗く見えるのはたまたま撮影時のシーイングが悪かったせいらしい。
小惑星「作新学院」。船田元を久しぶりに見た。船田家が作新学院の創立者一族だったとは初めて知った。天文ファンらしい。
みにろぐ。RIJFES に備えていろいろ整備。
朝刊の投書欄で、中3のときの担任だった先生の名前を見つけた。安保法案に反対する内容を書いていた。国語の先生で、日教組に入っていたかどうかは知らないが、左右で言えばまあ左寄りなのかなという印象だった(まだソ連崩壊や天安門事件は起きておらず、左翼が最後の輝きを残していた時代だったので、「進歩的」な学校教員というのはわりと普通にたくさんいて、今ほど嫌悪されてもいなかったと思う。「君が代」は音楽の教科書の最終ページに印刷されてあるだけの曲で、実際に授業や学校行事で歌ったことは一度もない、という世代です)。先生は左翼的な主張を押し付けるタイプではなく、わりといつでも理性的で、落ち着いた口調で言葉少なで、どこか冷めていて、中学生の我々を結構大人扱いしてくれて、物事は他人の意見に流されず自分の頭でよく考えた方がいいよ、ということを口ではなく態度で示すような人だった。道徳の授業はいつも読書の時間で、好きな本を持ってきて読みなさいということになっていた。国語の先生だけあって、先生が揃えた学級文庫は、冊数は限られているもののラインナップは他のクラスとはちょっと違っていた。太宰が特にたくさんあり、岩波文庫や岩波新書もいろいろあった。『新唐詩選』があったのを覚えている。子供向けに書かれた本は一冊もなかった。戦争について作文を書くという授業があり、朝鮮に渡って教員をしていた祖父母のことを書いたらどういうわけか気に入られて、金芝河や高史明の本を貸してくれた。
今回の投書では先生の肩書きは「無職」となっている。名前で検索してみると、今は定年退職して小学校の学習支援員の仕事をしているらしい。今回の投書もかつての先生の口調を思い出させる落ち着いた文章だった。ただ、日本語としてあまり良い文ではなかった。どうも原文がかなり削られて掲載されている気がする。
ユニカビジョンで WT3 の映像を見た。俺以外にもファンらしきおっさんが一人、俺と同じように最後まで張り付いて写真を撮っていた。子連れの若いお母さんが携帯で写真を撮って通り過ぎていった。部活の移動中らしいジャージ姿の高校生の集団が「あ、Perfume だ」「プロジェクションマッピングとかやってて凄いんだよ」などと話しながら通り過ぎていった。「プロジェクションマッピング」ももはや広く一般に知られる言葉になったと実感。
上映は 8/2 まで。11時、13時、15時、17時、19時の1日5回。
油井飛行士の「私がテストパイロットになるまで(前編)」。中編・後編も面白い。客観的に見てちゃんと実力があるのになぜか異常に自己評価が低い人というのはたまにいる(タイプ B と呼ぶ)。そういう人に対して「大丈夫、君ならできるから」と言える人というのは非常に貴重。こういう言葉をくれる人がもし身近にいるなら、その人のことは本気で大切にした方が良い。…というのは俺が大人になって学んだ大事なことの一つ。外国のことは知らんが、この国の大人の社会ではどういうわけか、タイプ B に対しては「甘い」「そんなことじゃダメだ」と否定語で「叱咤」して潰してしまう人が大多数で、肯定語で「激励」して花を開かせる人はほとんどいない。タイプ B の潜在能力を見抜いて自己評価を下支えする言葉を投げてやってちゃんと引っ張り上げられる人がいる組織は組織として強い。
他人から引っ張り上げてもらわなくても自己評価を落とさずに一人でやり続けられる人というのもたまにいる(タイプ A と呼ぶ)。この国の大人の社会で「あの人は才能がある」と言われて高く評価されるのはたいていこういうタイプ。所属集団の側にとってもタイプ A は手がかからないので歓迎されるが、タイプ A にはタイプ B が躓く理由が理解できず、タイプ B を引き上げる技術も鑑識眼も持っていないので、タイプ A が集団のトップに立つとタイプ B は「無能」認定されて集団からはじき出されるか下層に追いやられ、上澄み層には同じタイプ A のメンバーだけが残る。こういう組織ではメンバーの多様性が失われているので、タイプ A に対応できない危機が訪れると一気に全滅する。
…という組織論を妄想した。
Q7 の偽色(というかパープルフリンジ (PF))がひどいのは俺が絞らずに撮っていたせいらしい。01 STANDARD PRIME は F1.9 という明るさが売りなんだし、と思ってなるべく絞らずに使っていたが、PF は球面収差と軸上色収差が原因なので、ED でもないレンズで F が明るければそりゃまあ盛大に出ますよね、ということらしい。
絞りによって PF の出方がどのくらい変わるか実験してみた。ISO 100 固定、絞り優先 AE で F1.9(開放)から F8 まで。画像の中央付近をピクセル等倍で切り出し。
F1.9 | F2 |
F2.8 | F4 |
F5.6 | F8 |
絞った写真ほど解像感が悪いのはシャッター速度が延びて被写体ブレしている影響が大きい。結構風が吹いていたので。1/1.7" 1240万画素なので F8 の画は小絞りボケも含んでいそうだが。こうして見ると PF がほぼ気にならなくなるのは F4 からか。01 STANDARD PRIME の解像力は F2.8 - F4 が最良らしいので、ボケが欲しければ F2.8、PF が出ちゃうケースは F4 で撮れという結論に。
ドキュメンタリー映画『WE ARE Perfume - WORLD TOUR 3rd DOCUMENT』10月末公開。カウントダウンしていたのはこれだった。WT3 と SXSW の密着らしい。特報映像。楽しみ。
新宿塔にて予約していた WT3 BD を購入。
不在中に届いた抽選結果まとめ。「LIVE 3:5:6:9」武道館当選。「三人祭」も当選。やった!
「椎名林檎と彼奴等がゆく 百鬼夜行2015」はオリンパスホール八王子に当選、NHK ホールは落選。初日だから実質ゲネプロってやつか。戸田市文化会館を皮切りに、的な。まあ当たっただけ良し。
「"戸田市文化会館を皮切りに"」で google で検索したら2,110件もヒットした。皮切り過ぎ。もう名前を「戸田市皮切り会館」にしよう。
BBQ は今年は生中継なしだったか。9月に WOWOW で見よう。あ〜ちゃんの「ちょこっと LOVE」とのちゆかのセーラー服。この未必の故意的なお腹チラ見せがかしゆかの小悪魔たる所以。
旅に出ていて冥王星フィーバーに乗り遅れた。クレーターがほとんど見られず標高3500m級の山があるというのは確かに興味深い。冥王星の半径は地球の 1/5 程度なので、単純に凹凸の比率でスケールすれば地球に標高17000mくらいの山があるのと同じということになる。
クレーターが存在せず表面が若いということは、冥王星の表面で絶えず造山運動が起きたり氷が融けて表面を流れてツルピカにコーティングしたり、といった変化が今も起き続けている、つまり冥王星は地質学的に死んでいないということを意味する。このような地質学的な活動が起きるためにはエネルギー源がなければならない。地球の場合、プレートを運んだり火山噴火を引き起こしたりしているエネルギー源は地球内部の熱である。地熱の起源には二つあって、一つは遠い昔に微惑星が衝突合体して地球を作ったときの衝突の運動エネルギー(というか天体の落下の位置エネルギーというか)、もう一つは地球内部に含まれている放射性元素の崩壊熱。割合としては両者が半々という話だったと思う。地球以外の岩石惑星は全てサイズが小さいため、既に内部が冷えてしまっていてプレートテクトニクスのような活動はしていない。(金星は地球と同サイズだがやはりプレートテクトニクスはない。なぜないのかは不明とのこと。)例外として、木星や土星の衛星には表面で地質学的活動が見られるものがある。イオの火山やエンセラドゥスの間欠泉など。これらの衛星は巨大惑星から潮汐力を受けて変形するために内部で熱を生じてこういう活動の源になっている、と説明されてきた。しかし今回の冥王星には潮汐力を及ぼすような天体がいないので、このシナリオでは表面の若さを説明できない。
今回の発見の重要な帰結は、New Horizons チームの John Spencer 氏のコメントにある通り、冥王星の表面の若さは潮汐加熱以外に原因がある、ということ*だけでなく*、今までイオやエンセラドゥスの地質活動を説明してきた潮汐加熱シナリオ自体が実は嘘っぱちなのかもしれない、という点にこそある。
今思い付いたが、冥王星では今も「微惑星の集積過程」が続いているからその衝突のエネルギーで熱が供給されている、と考えればいいんじゃないのと思った。冥王星のようなカイパーベルト天体はその軌道上から他の天体を掃除しきっていないという点で「惑星の定義」を満たさず準惑星ってことにされたくらいだから、小天体の衝突頻度はきっと多いのでしょう。だから1億年間隔くらいで全球の表面が融かされるレベルの天体衝突があって、融けては再構築を繰り返してるんじゃないのかしら。全球溶融と言っても冥王星は岩石じゃなく氷だから、そんなに高い温度は必要ない。全然定量的に評価していないただの思い付きだけど。誰かざっくり計算してとっとと letter にして投稿してください。
あ、よく考えたら冥王星では氷は融けないんだった。表面気圧が 3 μbar だから三重点より全然低い。加熱されると昇華して、冷やされるとまた氷に戻って霜のように降り積もるイメージか。
旅行最終日。松江に行ってみる。一畑電車で終点の松江しんじ湖温泉駅へ。実にのんびりしたいい路線。途中にスイッチバックもあって面白い。
まずは松江城へ。大手門。松江城の建物のうちオリジナルなのは天守のみで櫓などは復元されたものだが、大手門は資料がないためいまだ復元できていないとのこと。松江市が懸賞金500万円を懸けて写真や図面を探している。
築造された時代を反映しているのか、積み方の違う石垣が混在している。これは打ち込みはぎというやつでしょうか。
このへんは野面積みに近い感じ。この垂れ幕はちょっと興醒め。
天守。おもてなし武将隊みたいな若者がいて記念撮影に応じていた。最近はあちこちのお城で見かける。
天守内部は土足禁止だった。わりと珍しいような。これは天守内部の柱。集成材になっている。こないだブラタモリでやっていた東大寺大仏殿と同様、これも太い材が確保できなかったせいだろうか。
天守最上階からの眺望。宍道湖が見える。
石落とし。
天守の石垣の根元に瓦を縦に埋めてある。軒先から滴る雨水で地面が掘れて水たまりにならないようにするための工夫と思われる。
分銅紋が刻まれた石垣。施工者の印だとか何とか。
まだまだ時間があったので宍道湖を見に行った。tumblr でよく見かけるこの文章に倣い、コンビニでサンドイッチと飲み物を買って湖岸の日陰に腰掛け、パンを食べながらぼんやりと湖の波を眺めてみた。いい気分だが、しかし3時間過ごすのは無理だった。蟻が上ってくるせいもあるが、30分が限界。俺の中の文明はかなり破壊されているらしい。
まだまだ時間があったので宍道湖しじみ館を見たり、松江しんじ湖温泉駅の駅前にある足湯に入ったり。歩き回って相当足が疲れていたのでこれは効いた。途中で地元の女子高生がたくさん入ってきて混浴状態に。足湯だけど。
松江しんじ湖温泉駅からバスで出雲空港へ。空港のロビーに10分100円のマッサージチェアがあったので試す。最高だった。フルフラットにまでリクライニングするのが非常に良い。100円の使途としては実に有意義だった。うちにも欲しい。
帰りの飛行機は 737-800。737 なんてまだ飛んでるのか、と思ったが、これは 737NG (Next-Generation) というやつで昔の 737 とは別物らしい。ウィングレット付いてるし。羽田までずっと内陸を飛ぶのかと思いきや、名古屋あたりで太平洋に出た。A列だったので窓から富士山が見えた。でもみんなあんまり写真とか撮らないのね。おかしい。
旅行二日目。夜中に台風11号が最接近。朝4時頃から暴風域に入る。ホテルの窓から風が入って笛のようにピーピー鳴り、うるさくて眠れない。ちゃんと密閉できるサッシなんだが、パッキンのごくわずかな隙間から風が入ってピーピー鳴るらしい。長渕か! とサッシにツッコミ。これが風速 25m/s の威力か。カーテンの布を挟み込んでみたりいろいろ試したが改善しないので諦めた。
朝飯を食べる頃には暴風は収まり、昼過ぎには天気も回復したのでお出かけ。まずは荒神谷遺跡へ。遺跡最寄りの荘原駅まで電車で移動しようと思ったが、電車は1時間に1本しかない。東京の感覚で鉄道を使うわけにはいかないことを思い知る。遺跡は山間部にあって他に公共交通機関は通っていないのでタクシーを使うしかない。雲州平田駅から荒神谷博物館まで約3,000円。
荒神谷から出た銅剣・銅矛の実物はすべて古代出雲歴史博物館にあるため、ここにはレプリカがあるのみ。よって見るべき展示品はさほどないが、発見当時のドキュメンタリー映像が流れていてこれは結構面白い。
博物館を出てしばらく歩くと遺跡があり、出土時の状況が再現されている。虻が多い。ここは沢に削られてできた谷のほぼ一番奥にある急斜面で、弥生人が日常的に来る場所では全くなさそう。ちょいちょい掘り出して祭祀に使っていたというよりは、二度と掘り返さない目的で注意深く埋めたという印象を受ける。
荒神谷博物館の車止め。銅鐸です。
荒神谷遺跡を堪能し、次は加茂岩倉遺跡へ。直線距離では 3km しか離れていないが山を越えなければならない。ここでまたタクシーを呼ぶと金がかかるなぁと思い、まず荘原駅まで歩くことにした。30分くらいかかった。今はスマートフォンのナビがあるので便利。初めての土地でも道に迷わず歩けるので体力の消耗度が全然違う。
出雲市斐川町のマンホール。銅鐸です。
荘原駅前にタクシーがいたので、これに乗って加茂岩倉遺跡に移動。加茂岩倉は荒神谷以上の僻地。完全に山の中なので車がないと到底無理。ここも3,000円くらいかかった。
加茂岩倉も山深い谷に農道を通す工事で見つかった遺跡で、道路から銅鐸の出土場所までは18mも高さがある。日常の生活場所から遠く離れた山中にわざわざ来て埋めている。なぜこんなことをしたのか全くの謎だが、弥生人の意図をあれこれ想像するのは楽しい。
銅鐸の発見状況の再現。パワーショベルで掘っていた場所が銅鐸の埋納坑だった。気づかずにだいぶ掘り崩してしまっていたが、それでも数個の銅鐸がまだ残っていた。
穴を掘って積んであった土やパワーショベルのバケットの中にも銅鐸があったので、工事を中止して破片を拾い集めて置いときました、という当時の状況の再現。
加茂岩倉遺跡の駐車場には市民バスが巡回している。そろそろ最終バスの時間だと思って慌てて駐車場に行ってみたが、時間を20分過ぎてもバスが来ない。もしやと思って web で調べたら、台風接近のためこの日の市民バスは運休になっていた。ここでもタクシーを呼ぶのは癪なので歩くことに。最寄りの加茂中駅まで45分くらい歩いた。下りなので何とか歩けたがさすがに疲労。
高速道路の脚も銅鐸。ちょっと岡本太郎っぽいが、こういう人面が描かれた銅鐸も実際に出土している。
雲南市加茂町のマンホールも銅鐸。
加茂中駅から JR 木次線で宍道駅まで移動。この路線は気動車。宍道から山陰本線で出雲市方面に出て一畑電車で平田に戻ろうと思ったが、山陰本線のダイヤがボロボロ。一向に電車が来ない。来るとアナウンスされていた電車が次々に運転取りやめになる。来る来る詐欺ですよ。2時間待っても来ないので諦めて宍道駅からホテルまでタクシーで帰還。約3,800円。こんなにタクシー代を使うなら初めからレンタカーを借りればよかった。
旅行一日目。出雲大社と博物館へ。
家から駅まで豪雨の中をチャリ移動。ここが一番濡れた。早朝のフライトにしたため始発電車でぎりぎりだったが無事に搭乗、定刻通りに離陸。午後の便は遅延または欠航だったらしい。現地での行動時間を考えて朝の便にしたのが結果的に台風よけになった。飛行機は 767-300。
最近では「搭乗券」というのはほぼ形而上学的な存在になったらしく、旅行会社から送られてきた「eチケットお客さま控」という安っぽい紙に印刷された 2D バーコードが全てである、というのを初めて知った。チェックインも保安検査場も搭乗もこれをスキャンするのみ。復路にも使うのでうっかり捨てると死ぬ。
出雲縁結び空港という珍妙な名前の空港に着き、バスで出雲大社へ直行。ぬるい風と小雨の中参拝。朝早いので静寂な雰囲気を味わうことができて良かった。
境内の入口にある鳥居。平日の朝10時前なので人はまばら。「出雲大社」は「いずもたいしゃ」ではなく「いずもおおやしろ」と読むのが正しいらしい。神社の URL もそうなっている。『神道用語の基礎知識』でもそのように振り仮名が振られている。諏訪大社や宗像大社は「たいしゃ」でよいらしい。
拝殿。有名な注連縄がある。
本殿の周囲は瑞垣という塀に囲まれており、中には入れない。瑞垣の内側にはさらに玉垣という囲いがあってその中に本殿がある。これは瑞垣の正面にある八足門という門。参拝は本来拝殿の方でやるものらしいが、八足門の前にも賽銭箱があってこちらでもお参りでき、どちらがよいのかいまいち曖昧。
石段の前に赤い丸が描かれているのはここから巨大な柱の跡が出土したことを示している。平安時代にはこの位置に本殿があり、巨大な柱に支えられた高層建築だったと推定されている。
瑞垣に沿って側面に回ると有名な大社造の本殿が見える。でかい。
PENTAX Q7 + 01 STANDARD PRIME は 39mm 相当なわけだが、んーこれだとちょっと窮屈か、と思って同じ位置から iPhone 5s のカメラで撮った結果。あまり余白を入れてもスケール感が出なくなるな。難しい。Q7 は例によって輝度が大きく変わるところで紫の偽色が思いっきり出る。うまくはまったときの解像感は凄いなと思うけど。iPhone はそのへん穏健。
裏側から見た本殿その他を iPhone のパノラマで。
鳩。逃げようともしない。後ろにある赤い筒が心御柱の実物大模型。杉の大木を三本束ねた直径約3mの朱塗りの柱だったという。
お参りを終えて境内の西側に行ってみると、神楽殿という建物があって拝殿よりでかい注連縄があった。こっちは出雲大社教という宗教法人の建物らしい。本家よりでかい注連縄を飾っちゃうというのは OK なんですかね。なお、硬貨を下から投げて注連縄の断面にうまく刺さるとよいことあり、というプレイは現在は禁止されている。
これもよく知らないんですけど、記紀の神話の中に幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)の話というのがありまして。出雲大社に祀られている大国主神(おおくにぬし)は少彦名命(すくなひこな)というちっちゃい神様とコンビを組んで一緒に日本の国作りをしたのだが、途中で少彦名が死んでしまうわけですね。後に残された大国主が「おいおい、俺一人でこれからどうやって国作りをすればいいんだよ」と嘆いていたところ、海の向こうからなんかきらきら輝く変な物が波に乗ってやってきましたと。で、「俺は幸魂奇魂さ。君の魂の分身みたいなものかな。俺のことを丁重に祀ってくれたらきっと国作りがうまくいくぜ」と言うので、「いいけど、どこに祀ればいいすか?」と大国主が聞いたところ、「んー、大和国の東の方に山があるだろ、あそこがいいな」と言うので、三輪山にお祀りしました。――みたいな話。それを描いた銅像らしいです。神話というのはたいてい突拍子もない話なのでそのままビジュアルにしてしまうとギャグ漫画のようになりがちだが、それを恐れずあえて忠実に具現化し、しかも由緒のある出雲大社の境内に飾ってしまったという事例。
こっちは因幡の白兎の銅像。大国主には意地悪な兄ちゃんの神々がいて、「因幡国にマブいスケがいるらしいんだ。求婚しに行くからついてこいよ。ちなみにお前が荷物係な」と言われ、兄貴たちの荷物を袋に入れて担いでついていき、その道中で皮を剥がれた兎を助ける有名なお話になるわけですが、大国主の「大国」は「だいこく」とも読めるということで、江戸時代になるとヒンドゥー教の神様だった大黒天と大国主命がフュージョン(神仏習合)してしまい、それで大黒様も袋を担いだ姿になっているらしいです。実に日本的なユルさ。
帰りに鳥居から参道を見る。遠くに大鳥居が見える。出雲大社は縁結びの神様ということで町を挙げて売り出しており、若い女性の観光客がたくさん歩いていた。俺も縁結びのお守りを買ってみたが、旅先で素敵な女性と知り合うといった効果は特に見られず。
出雲大社の向かいにあるスターバックス。景観に配慮した外装になっている。今やどこにでもありますね。そんなに君たちは珈琲を飲みたいのかと。まあかく言う俺も雨宿りで珈琲を飲んだんですが。店員のお姉さんがフレンドリーだった。
出雲大社の隣にある島根県立古代出雲歴史博物館へ。かつて高さ十六丈 (48m) の高層建築だったという出雲大社本殿の復元模型。復元案は研究者によっていろいろあり、奥に小さい模型で展示されている。言い伝えや古文書の図面の通りに心御柱が出土したのは確かに衝撃的だが、この階段の復元案はどの程度本当なんでしょうね。将来階段の柱穴でも出てくればいいけど。
今回の旅行の最大の目当ては出雲の銅鐸・銅剣。荒神谷遺跡から出た銅剣と加茂岩倉遺跡の銅鐸は全てこの博物館に収蔵・展示されている。荒神谷と加茂岩倉の現地にもそれぞれ博物館があるのだが、そちらにはレプリカしか置いていない。ご注意。
これが荒神谷遺跡から出土した銅剣と銅矛。上半分にある金色のやつは復元したもの。銅とスズの比率にもよるが、青銅は本来こういう色なんすね。荒神谷の銅剣はかなり金色に近い。ずらりと並ぶと圧巻。
パノラマ。それまでに日本全国で出土した銅剣・銅矛の本数がこの荒神谷の発見によって一気に倍増したという。
銅剣と銅矛って何が違うのよ、と思ったが、刀身の根元に茎(なかご)があってこれを柄に挿して固定するのが剣、刀身の根元が袋穂と呼ばれる筒になっていて、筒の中に柄を入れて固定するのが矛ってことらしい。矛のような筒状の接合機構はオールドファッションで、現代に至る鉄器時代の刃物は包丁や刀、槍などすべて茎がある。ここで展示されている銅剣・銅矛は祭祀目的で作られたもので、実際に柄を取り付けた痕跡はない。銅矛の袋穂には鋳造時の鋳型の砂が詰まったままになっていたりする。
加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸。こちらもこれだけの数をまとめて見られるのは楽しい。
銅鐸の文様。一番上の段は鹿。その下の段にある米軍の無人機みたいな四つ足の動物はよく分からない。ネズミのようでもあり。
飛鳥時代の土製支脚。煮炊きするときに土器を乗せる「五徳」のようなものらしい。やっぱこういうものがないと不便だよな。山陰地方にしか出土しないとのこと。山陰地方の奥様方の間で流行したアイデアキッチングッズだったんだろうか。こういう人間臭さが残る遺物は好き。
館内のカフェで昼飯。一日10食限定の「古墳ゼリー2015」というのがある。おお、これはネットで見たことがあるぞ。早速これも注文。「スコップ型のスプーンで発掘をお楽しみください」みたいな。
こ、これは。食べ進めていくと前方部から被葬者の遺体が出土。
クマー! さらに後円部にも埋葬されている気配が。
ここにもクマー! 一つの古墳に複数の人物が埋葬されるというのはよくありますが、前方部と後円部に一体ずつというのは珍しいかも。
つーことで古墳好きな人が出雲を訪れたらこの古墳ゼリーはマストです。この博物館は建築としてもなかなかよい。カフェからの眺望もいいし。
まだ時間があるので徒歩で参道を下ってみる。大鳥居。鉄筋コンクリート製で大正4年建立。
JR 大社線の大社駅。1990年に廃線になったが駅舎は2004年に重要文化財に指定され、内部を自由に見学できる。駅舎が重文に指定された例は他に東京駅と門司港駅しかない。門司港駅は子供の頃に18きっぷで行ったことがあるので、これで俺は3駅とも見たことになるな。
大正13年建築とのこと。駅長事務室の中がカフェになっていると書いてあったがどうも営業していないっぽい。
iPhone のパノラマ機能は非常に便利だが、絵の水平を保つのが難しい。たいてい傾いてしまっているので後で回転ツールで直す必要がある。
ホームにて。
ホームに D51 が停まっている。
天気が悪くなってきたので戻る。こちらは一畑電車の出雲大社前駅。この駅舎も古い。明かり取りのステンドグラスが入っていたりしてこれも洒落た建築。今はあいにく外装工事中。
一畑電車は宍道湖の北岸を出雲から松江まで走る私鉄。電化はされているがだいたい2両編成でワンマン。ただしこの日は若い女性の車掌さんが乗っていた。バスガイドのようなオレンジ色の制服で可愛らしい。この車両は東急の1000系をワンマン化改造したものらしい。
川跡駅で乗り換え、ホテルのある雲州平田駅で下車。こちらは元南海21000系とのこと。相当年季が入っている。
事実上の夏。
職場 PC にはもう Flash Player を入れておらず、これで全く困っていない。Flash のネヴァーエンディングな脆弱性に疲れたので自宅 PC からもアンインストールしてみた。→ DMM のサンプル動画が見られなくなった。ここがまだ Flash 依存だったかー。DMM も HTML5 化希望。
鳩サブレーのクッション。ヤバい。hato.co.jp というドメイン名もかっこいい。
市長選の投票。クソ暑い。
散髪。旅行用にモバイルバッテリーを購入。しかし日程に台風が直撃だな…。
ブラタモリ仙台を見る。教養部時代に自然地理学の講義を受けた松本さんが出ていた。東北学院大に移ったのね。
開票の結果、市長は42歳の元市議に決定。スマホ一台、5分で2000万円を生む天才情報商材業者の松田元さんは無事に落選。しかし共産党の候補より得票していたのが何とも。
古い望遠鏡の使い方を思い出すのに時間がかかった。
P.T.A.サミットの検定試験にエントリーす。試験の「体験版」というのを受けられるが、これを見ると普通に知識系の問題を出すようだ。知識の多寡を競わせて上位の者だけライブに呼ぶというのはこれまで三人とファンとが育んできた「Perfume 的な精神(何それ)」に照らしてもなんか違うのでは、というのは俺も全く同感。まあ O-WEST は思い入れのあるハコでしかもキャパが600人しかないから、転売目的の会員に券を買われたくない、というのは分かるんだが、もう少し上手い方法がなかったもんかと思う。試験問題が正解のない大喜利で、全部自由記述で三人が「正解!w」と言ったらそれが正解、みたいな内容ならまだ面白いんだけど(採点が異常に大変になるから無理だな)。まあサミットはあくまでも特濃な会員向けの「極部門」であって、他にもライブの機会は今回たくさん用意したからもしこれに外れても他のライブで会いましょうというつもりなのかも。
なんかえらく落ち込んでいたのでお一人様で HOOTERS 新宿へ行ってみた。以前劇場だったため天井が高く立体的な作りで気持ち良い。スクリーンでスポーツチャンネルを流しているのは赤坂と同じ。なぜか全日本プロレスの名場面集が延々と流れていた。天龍やジャンボ鶴田、阿修羅・原の試合を見る。
一人で行ったせいか、俺のテーブル担当の女の子がまめに巡回してはあれこれ親切に話しかけてくれる。キャバクラに行くおっさんの気持ちがちょっと分かった。チェリーパイとくるくるしたポテト山盛りとコーラで約2,000円。糖分を摂り、お姉さんの胸の谷間を見たおかげで少し気分が持ち直した。また来る。
防災科研による 5/30 の小笠原沖深発地震のアニメーション。長周期地震動の縞々の波が日本列島を通過する様子が手に取るように分かる。素晴らしい可視化。
録画していた「THE MUSIC DAY」を見る。GAME と Dream Fighter の2曲。地上波初 GAME かっこよかった。例によって短縮されてたけど。11時間も放送時間があるのにそれでも曲を切らなきゃならないというのは何なんすかね。たった5分07秒の曲なのにね。ねー。
甥っ子が来ていたので遊ぶ。ばあちゃん(うちの母)がニンニンジャーのガマガマ銃を買ってくれたが、手裏剣が付かないとのこと。ばあちゃんは老眼なので細かいパーツを組み立てるのは難しい。俺が直してやった。腰に手裏剣を装着できるニンニンバックルの使い方を丁寧に教えてくれて、「これ使ってもいいよ」と渡してくれた。男子二人のエネルギーは凄い。
ロードマチックのベルトを買ったが汚かったので母からもらったパーシャルデントで洗浄。金属ベルトは入れ歯洗浄剤で洗うのが最適らしい。一晩つけ置きしたら水が真っ黒に。ベルトはピカピカになった。素晴らしい。
ヤフオクの仕様が変わって取引ナビでいちいち会話をしなくてもよくなった。中国人バイヤーにとっては敷居が下がるな。
作文と打ち合わせで一日が終わる。一連の処理にものすごい労力を投入しているけど、これトータルでプラスになってるのかな。ただただ疲労。25時に帰宅。
久々に空山基の絵を見た。日本が世界に誇るエロティシズムと金属光沢の芸術家。彼の経歴を語る際にしばしば「AIBO のデザイナー」と紹介されるが、これは単に全年齢に見せられる一番有名なお仕事がこれだからで、空山の業績の中では AIBO は端っこの端っこに過ぎない。『SORAYAMA 1964‐1999―The complete works of Hajime SORAYAMA』という本を持っているが、これはあまり紙質が良くない。もう少し大判で良い紙の全作品集が欲しい。実家住まいだと部屋に置きづらいが。彼ももうすぐ70歳か…。
季節のパイパン。
上半期終了らしい。今年も残りわずかとなりました。よいお年を。
ただの勘違いだと信じて気にしないふりはもう疲れた。
PET ボトルのお茶が泡立つのはサポニンのせい。そうだったのか。
4月の狭山市議会議員選挙で当選した須藤梓が狭山市に3ヶ月居住の実態がなく当選無効に。
…などという芳醇な話題を 2ch 方面から得る。松田も須藤もさやま茶ッぷりんも元々狭山市とは縁もゆかりもない連中だとか。何だろな、武雄市の樋渡前市長あたりを見て、緩い地方公共団体を乗っ取れば好き放題できると思ったのかな(樋渡と対談してるし)。その橋頭堡としてまずは狭山のしょっぱい私立大学にどかんと金を寄付して研究所長の肩書を購入、さらには自身の(お察し)を先遣隊として市議選に投入、みたいな図式か。市長選直前のこのタイミングで須藤を当選無効にした市選管はいい仕事をしたと思う。「こいつらヤバい」となんか感づいたんですかね。
関係ないが、今更 Amazon アソシエイトに入ってみた。アフィリエイトは好きじゃないんだが、どうにも先行きが厳しいのでやれることはやっとこうか、みたいな感じです。2020/05/27 追記: 心当たりがないが、規約違反ということでアソシエイトのアカウントが閉鎖されたので、リンクは amazon 外に順次変更していきます。どこが違反なのか説明くらいあってもいいと思うんですがね。
1999 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2000 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
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