なんか既視感あるなと思ったらこれ『この世界の片隅に』なのでは。
「なんでもつこうて暮らし続けにゃいかんのですけぇ。うちらは」なのでは。— @yusai00
暦の上では GW に入ったあたりだが、全く実感なし。
コンビニで見かけた『CAPA』の表紙の子がなんか好み。桜田ひよりという人らしい。NHKE の語学番組に出ているらしい。子役時代に映画『はやぶさ/HAYABUSA』(竹内結子・佐野史郎のやつ)に出ていたらしい。全然覚えていない。
さまざまな手続きで免許証のコピーを求められるたびにコンビニでコピーを取っていたが、たくさんコピーしてストックしとけばいいじゃんということに今さら気づく。
野本さんが瑞宝中綬章を受章。2003年以降は「勲○等」とは言わなくなったが、中綬章はかつての勲三等に相当。
東京ドーム2公演の払い戻しが届く。窮乏中の折、大変ありがたい。
シャープのマスクの抽選に応募。洗って使うのにも飽きてきたので。
職場で一日中マスクを着けていると、呼気がこもるので顔の皮膚がずっと濡れた状態になる。この状態でマスクを外すと、この水分が一気に蒸発して肌がカッサカサに乾燥する。しかもずっと不織布でこすられている状態なので、帰宅する頃には痒くてしょうがない。帰ったらすぐに冷水で洗顔して保湿するが、なかなか痒みが治まらない。辛いです。布マスクの方がましだろうか。
というわけで、マスクはなるべく着けたくないので人がいないところを歩いたり自転車で移動したりする際には着けていないが、世間の人々はわりとどこでもマスクをしていて、痒くないのかなとか、人がいないところで着けてても意味ないだろとか、いろいろ考える。母親にも「マスク着けないの」と聞かれたので話をして気づいたが、ウイルスを含む飛沫が花粉や土埃と同じように風に乗って長距離を移動し、感染能力を保持したままそこらへんに常に漂っているというイメージを持っている人がわりといるように思える。
ウイルスは基本的に人間に寄生して増える連中なので、寄生できる人間にたどり着けなかったウイルスは紫外線やら酵素やら酸性・アルカリ性のさまざまな物質の作用で、長くても数時間で不活化されて終わるし、空気が流れている屋外ならあっという間に無視できるレベルまで数密度が減るだろう。プラスチックやステンレスの表面だとわりと長生きするというのは謎だが、微小な凹凸が少ない表面は毛細管現象が効きづらいので水分が失われにくい、とかだろうか。ともあれ、人間から数m以上離れた空気中にふわふわとウイルスがいてそれを吸い込むと感染するという描像はほとんどの状況で正しくないので、人がいない場所でマスクをしてもあんま意味ないと思う。ウイルスが付いた手指で鼻・口に触れるのを防ぐという意味はまああるだろうけど、マスクをしていても目の粘膜はガラ空きだしなぁ。こまめに手を洗う方がいい。
4/20 といえば切手趣味週間。今年は光琳の国宝「紅白梅図屏風」。紅白梅図屏風は第一次国宝シリーズ(1969年)でも登場していた。懐かしい。
地元の駅前の床屋が開いていた。無事に散髪完了。ここもカットのみの店。しばらく顔剃りをしてもらっていないせいか、両眉の間に毛が生えてきた。
外出を伴う星見・星撮(遠征)はどうすべきと考えますか? 過剰に真面目な人が多いという印象。大人数での観望会とかは別にして、星見遠征は基本的に文明からなるべく離れた場所を求めてするものだし、一人で山奥へ見に行くのをそこまで目くじら立てるのはどうなんだろう。「途中でコンビニに寄れば感染を広げるリスクがあるだろ」とか「事故って病院に担ぎ込まれたら医療リソースを圧迫するだろ」とかいう意見は、微視的には一見正論に見えるのだが、人の思考や行動の多様性を認めない、あまりにもマージンがなさすぎる意見だな、と思う。政府が言っているのは「人の移動を8割減らす」であって、「全員家から一歩も出るな」ではない。8割減ということは、「出かけたいな」と思うきっかけが5回あったとして、そのうち4回我慢すればいいということ。5回に1回は出かけていい。その1回を何に使うかはその人の自由でいい。何が不要不急なのかというのは結局はその人の内面の問題なのだから、他人が口出しすべきことでもない。
外出・接触を控えて欲しい理由を科学的に説明して、その上でなお出てくる「俺はそれでも星見に行きたい」「俺はパチンコやりたい」という人々の意見は、それはそれで自由意志として尊重して、そういう人も一定数いることを織り込んだ上で上手くいく方法を考えましょうというのが成熟した民主主義社会だろう。上記のアンケートのコメントを読んでいると、天文雑誌の入選写真の撮影日や撮影地をチェックして「こいつ緊急事態宣言中に撮影に出かけてるじゃねぇか」と晒すような行為が本当に起こるんじゃないかと、わりと真面目に憂慮している。
恐怖心と正義感に駆られた人というのは驚くほど暴力的になれる。戦時中の「敵性語」狩りが政府・軍の主導したものではなく民間人による自発的運動だったという話や、「煙草の火が敵機に見つかるから夜に路上で吸うな」と怒鳴る警防団員の話は、昨今の自粛警察的言説に酷似している。
いい加減、髪を切りたい。行きつけの店だと都内まで出なければならないが、地元のイオンにある10分床屋が開いてるだろうと行ってみた。→まさかの「しばらく休業」。ベンチに座ってジュースを飲んで帰宅。
4/16 発売の Newton 別冊『138億年の大宇宙 改訂第2版』に、以前『Newton』に書いた以下の記事が再録されています。よろしければご覧ください。
「特命助教」という肩書はいつ見てもカッコいい。
バイト先へ久々に出社。テレワーク体制となり、出社人数は半分ほどに減っていた。先週から一人発熱者が出て休んでいるとのこと。COVID かどうかはまだ分からない。
自分の部署は家でできる業務ではないのだが、とりあえず歩いて通える距離の人だけテレワークに。コピーした紙の束を持ち帰り、家で作業して完了したらまた会社に持参して、会社の玄関で内勤の人に受け渡し。これも大変。通勤距離が長くて電車での感染リスクがより高い人(俺含む)が出社しなければならないというのも何だか微妙。
梅が実を付けていた。
今日もリハビリ。天気が悪い。
院内の待合の椅子に一つおきに貼り紙。隣人との距離を取れと。バスでも、先頭の座席にはなるべく座らないようにとの貼り紙がされていた。運転手と距離を取れということらしい。
腹が減ったのでミスドへ。ここにも一つおきに着席禁止の貼り紙。
空耳アワー休止。理由は特に言っていなかったが、撮影ができないためだろう。番組本編も過去の総集編みたいな感じに。
そしてブラタモリの林田アナ卒業回を録画し忘れたことに気づく。
リハビリへ。いつもより道が空いていた気がする。
たくさん動かすと鈍痛が出るが、翌日には可動域が少し広がっていることに気づく、という過程の繰り返し。
マイナス等級になるかと期待されていたアトラス彗星 (C/2019 Y4) が分裂、減光に向かってしまった模様。残念。ケチの付けようがないくらいの大彗星がそろそろ見たい。文句なしの大彗星というとヘール・ボップ(1997年)が最後だなぁ。もう23年も経つのか。
緊急事態宣言。5/6 まで。強制力があるのは土地・建物の収用、医薬品等の売り渡し要請・収用のみ。公共の福祉のために私権を制限しうるという具体的規定が憲法にあるのが財産権(29条)だけなので、強制できるのは上記2点だけということらしい。個人的には、疫病と自然災害に限った緊急事態条項を憲法に加えてもいいんじゃないのと思う。
ABC 予想証明の論文受理。600ページ。査読に8年。
ただ、受理=検証完了と言ってよいかどうかはよく分からない。査読を通って受理された論文が間違っていることなど普通にある。現段階では「レフェリーから見てすぐに気づくレベルの瑕疵はないように見える」くらいか。
日本のメディアは無批判に喜んでいるが、Nature の報道はかなり辛め。2018年3月にドイツの Scholze と Stix という研究者が京大数理研に1週間滞在して望月氏・星氏とセミナーをやった。その結果、Scholze と Stix は望月氏の証明に「小規模な修正では救えない」レベルのギャップがあると結論した。この二人の報告に対して望月氏は「短い反論にすぎず、詳細・厳格な中身がない」「しかし、彼らからこれ以上実のある反論はしばらく出てきそうもない」と述べている。(「このセミナーの参加者以外の数学者コミュニティの中からこの状況を救う議論が出てくるかもしれないと期待している」とも望月氏は書いている。)
「最終的に出版される段階では二人の反論について何かコメントが加筆されるかもしれないが、実質的に論旨が変わることはない」と会見で玉川安騎男教授(京大)は述べた、と Nature の記事には書かれている。
また、欧州数学会 (EMS) の Mehrmann 会長のコメントとして、「もし掲載誌の編集部が批判を無視して大きな修正なしに論文を出版すれば、雑誌も望月氏も悪い印象を与えるだろう」という言葉も載せている。投稿された雑誌が望月氏の「内輪」である京大数理研の『PRIMS』であるという点にも触れている(この論文に関してはもちろん望月氏自身はピアレビューのプロセスから外れており、手続き上の問題はない)。
コロンビア大学の Peter Woit は2018年9月の blog で、望月氏や望月氏の証明を認めている Ivan Fesenko(ノッティンガム大学)が Scholze-Stix の反論に言及する際の「言葉遣い」に真面目さが欠けている(いちいち「からかい」のニュアンスが含まれているように見える)、感情的な攻撃がみられる、そうではなく明快な技術的説明をすべきだと書いている。論文受理の報道を受けた4月3日の blog では、「専門家が公に証明に疑義を差し挟んでいる状況にもかかわらず論文を出版するというのは主要な論文誌では聞いたことがない」と述べている。
まあこんな感じで、望月氏の証明を支持する京大グループとその外の数学者コミュニティとの間にはこの2年ばかり深刻な分断があって解決していない。国内のメディアが報じるような楽観的な状況では全くない(新聞・テレビの記者って海外メディアの報道はチェックしないんだろうか)。
ちなみに、ロシアの Perelman がポアンカレ予想を証明したときも最初はわけ分からん論文だと思われていたが、2002年に arXiv に論文が投稿され、3グループ6名の数学者が独立に検証して3グループとも2006年にチェックを完了、致命的な瑕疵がないことが確認されている。それと比べると望月氏の場合は事態の進捗がものすごく遅い。何がいけないのかはよく分からないが。
WOWOW の『Perfume 8th Tour 2020 “P Cubed” in Dome』を見る。俺が行った東京ドーム2日目は自粛要請で中止されたが、これはその前日、東京ドーム初日の映像。生で見たかったなー。ベスト盤『P3』発売後のツアーなのでセットリストもベストヒッツ的になるかと思いきや、意外と攻めている。「Hurly Burly」「PSPS」のようなあまりやっていない良曲を本編に並べる一方、「チョコレイト・ディスコ」「コンピューターシティ」みたいな大ネタをあえてメドレーに回すとか。
やはり寝起き時に腕が痛い。ロキソニンを飲む。
エイプリルフールのネタは、どこからどう見てもホラであることが一目で分からなければならない。「いかにもありそう」くらいの嘘だとただのフェイクニュースになってしまう。嘘をつくなら桁外れの壮大な嘘にしておく必要がある。専門性の強いネタの場合には特に。なかなか難しい作業です。「光年を廃止」ですらそのまま信じた人が結構出て、これでもまだ馬鹿馬鹿しさが足りなかったか、と反省した。コンビニで売られている宇宙本にこれが本当の話として引用されているのをS君が見つけたことがあったなあ。
駄洒落ネタも、作るのは簡単だが深みがないので避けた方がよい。人を傷つけたり嘲笑したり、実在の人物・組織に迷惑がかかるようなネタも当然避けるべき。
相馬充さん、吉田春夫さんが退官。相馬さんは助教のまま定年か。
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