5月11日(土) シンクロ率 31 %

相変わらず川口千里ちゃんの動画を見ている。昨年10月にパリで行われたドラムフェスでの演奏。ほとばしる衝動が素晴らしい。海外での演奏ではこのポップコーン柄のワンピースをよく着ている。首のところが付け襟になってて可愛いよねー。12:00あたりで左隅に映り込む観客の男性がドラムソロに引き込まれてだんだん笑顔になっていくのが好き。13:58あたりで乱打しすぎてスティックをすっ飛ばしちゃうのもいい。足元にスティックバッグを置いていて、スリップしたり折れたりしてもすぐに次のを取り出して演奏を続けるのがカッコいい。別の動画でもスティックを折っていたが、コメ欄で「このくらいドラムが上達すると自由にスティックを召喚できる魔法が使えるようになるんだな」というコメントがあって笑った。

千里ちゃんの『壬申の乱』の演奏をカバーする米国の女の子。眼鏡をかけて本を読む小芝居までコピー。しかしこうして見比べると千里ちゃんの演奏がいかに正確かが分かる。

5月10日(金) シンクロ率 33 %

ちゃあぽん

N社方面の紹介で、15分ほど J-WAVE でブラックホールの話をした。radiko のタイムフリーで1週間くらいは聴けるらしい。よろしければご笑聴ください。

短い時間でとんとん進めなければならないせいか、担当の方から事前に「今回の EHT での撮影成功の意義は?」「BH に入るとどうなるの?」のような質問が10問ほど送られてきて、こちらが返送した答がほぼ台本になるという形だった。

出番の45分前に六本木ヒルズ森タワーLL階で待ち合わせ。番組ADさんらしき方が迎えに来て、オフィスフロア内へ。33階のJ-WAVE社屋で放送作家さんと打合せをして、もう出番。いろんな専門家が呼ばれて旬の話題を解説するコーナーだが、前回の放送を聴くと、MC のアンジャッシュ渡部氏とゲストが台本通りっぽい質疑応答をしているだけで、どうにも渡部氏がつまんなそうだったので、もう少し生っぽいやり取りが発生するように児嶋さんの話なども入れてみた。後で twitter を見たらちょっとウケたような感想も散見されたので、無味乾燥な解説よりは良かったかなと思う。児嶋さんありがとうございます。渡部氏も、俺が緊張して事前の台本から飛ばしてしまった事柄を補足するようにごく自然に質問を入れてくれて、さすがプロであった。

ラジオのブースに入るのはもちろん人生初だが、J-WAVE は森タワーの33階にあるので見晴らしは最高。ブースには渡部氏と放送作家さんと俺の3人が入った。目の前にヘッドホンが置いてあったが、付けても付けなくてもいいですとのこと。あと、マイクの音量を上げ下げする例のスライダーもあったが、それもいじらなくていいと言われた。そういうのはガラスの向こうで副調整室の人がやるわけね。マイクを保持するアームの先端にはスリックの自由雲台が付いていて、マイクはそこに取り付けられていた。

曲をかけている間に AD さん?が入ってきて、web に載せる記念写真を iPhone でぱっぱと撮影。俺のコーナーが終わると、さっき副調整室で所在なさげに立っていたお姉さんがブースに入ってきて、俺の隣に座ったと思ったら、道路交通情報を読み上げ始めた。交通情報って日本道路交通情報センターから放送してるんじゃなかったのか。お姉さんが出ていって CM になり、俺の出番も終了。AD さんに付き添われてビルの下まで送ってもらってさようなら。全てが流れ作業のように最適化されていた。

今回俺が関わった人は、ディレクターっぽい人と放送作家さんとADさん。あと、交通情報のお姉さん、副調整室の人が2、3人いた。単に音声コンテンツを生で流すだけなのにこれだけの人が関わっていると考えると、まあオールドメディアだなとも思う。YouTuber なら自分とゲストだけでやってしまうのだろう。

ちゃあぽんのポスター。最近あちこちで見かける。地元駅にも貼られている。

5月9日(木) シンクロ率 28 %

寒気が入ったせいか、5月にしては乾燥している。また鼻血が始まって憂鬱。

池袋西武の書籍館へ向かう地下通路にイタリア風のカフェのテーブルが置かれている。ずっと前からある店だが、一度もここで飲食をしたことがなかったので入ってみた。「入って」といってもほぼオープンスペースなのだが、適当に座ると店員さんが注文を取りに来るしくみらしい。パニーニと紅茶で2,000円も取られた。俺のようなプロレタリアの行く店ではなかった。

谷山・志村予想の志村五郎さん死去。国内の新聞の報道は死去から数日後で、扱いはベタ記事だった。あの志村五郎ですら一般紙の報道はこんなものである。

5月6日(火) シンクロ率 29 %

クレマチス

クレマチス咲く。

よく分からない連休が終わった。そして仕事は進んでいない。

久しぶりに細い月が撮れた。月齢 1.5 だったらしい。

月

5月3日(金) シンクロ率 31 %

自動車保険を更新。特に何も変わらず。

市から風疹の抗体検査と予防接種のお知らせが来た。ようやく、昭和37年4月2日から昭和54年4月1日の間に生まれた男性も無料でできるようになったらしい。俺は子供の頃に罹ったはずだが、早めに検査に行ってこよう。

抗体検査の結果はインフルエンザのようにその場で出るのではなく、3日から長くて2週間ほどかかる模様。病院に2回行く必要があるというのが市の案内に書かれていなくて不親切。

5月2日(木) シンクロ率 29 %

平成[1-9]年頃の本を引っぱり出してみる其ノ弐。丸善『理科年表』平成2年(1990年)版。平成元年末の発売なので高校2年のときに買ったものか。

理科年表

天文部91「主な光学大望遠鏡」。当時の口径世界一はソ連のゼレンチュクスカヤにある口径6m反射経緯台。主鏡に問題があって科学的成果はあまり得られなかったとの評判。ソ連はゴルバチョフ書記長の時代で、1989年5月に訪中、6月に天安門事件、11月にベルリンの壁崩壊という年。すばる望遠鏡はまだ「JNLT」というプロジェクト名で呼ばれていて、建設は始まっていなかった。現在のリストと比べると感慨深い。

主な光学大望遠鏡

上の表で、口径3.6mで第8位に入っているイラクの「建設中」の望遠鏡というのを今回初めて知った。クルド自治区内のコレク山(2,127m)の山頂にアルビル天文台というのが1970年代に建設されたらしい。サダム・フセインの前の大統領の時代。イラク戦争終結前の2006年に『Scientific American』がこの天文台を取材した記事が載っている。口径30mの電波望遠鏡と1.25m、3.5mの光学望遠鏡が計画されていて、電波望遠鏡と1.25mの方は完成して試験までこぎ着けたが、1985年のイラン・イラク戦争と1991年の湾岸戦争でミサイルの標的となって電波望遠鏡と3.5mのドームが破壊された。1.25m望遠鏡の設備は略奪されてほとんど残っていない。3.5m望遠鏡は輸送用の箱に移されてバグダッドに避難させたが、取材時点では中身が無事かどうかは確認できていないとのこと(望遠鏡自体の所在は分かっているのか、記事の文面ではいまいち不明)。この取材で撮影されたと思われる動画が YouTube に上がっている。穴の空いたドームが痛々しい。米国の研究者がドームを修理して新たに6m級の望遠鏡を設置する計画を進めている、という話で記事が終わっているが、イラクはこの後もアルカイダと IS に蹂躙されたので、現在どうなっているのかは謎。アルビルはわりと治安が良いようで、Google Maps で見ると、コレク山にリゾート開発が入ったりしている。天文台の施設もそのまま残っているようだ。

1988年に打ち上げられた人工天体の一覧。何と言ってもソ連のコスモス衛星の多さですよ。軍事衛星などいろいろな衛星が含まれているが、当時は「コスモス○号」という名前しか公表されず正体不明だった。遠地点高度 Q や近地点高度 q が低くて数日で落下しているやつは偵察衛星であろう。同じ日に打ち上げられて軌道要素も似通っているやつは1発のロケットで同時打ち上げされたピギーバック衛星と思われる。それにしても多いな。週3、4回上げている時期もある。当時のソ連が宇宙に費やしていたリソースがいかに凄かったかが窺い知れる。

人工天体

最近発見された彗星。アルファベット1字で仮符号が足りていた時代。その後、1994年にシューメーカー・レビー第9彗星が木星に衝突するという現象がきっかけとなって、地球に衝突する可能性のある小天体を自動観測望遠鏡で根こそぎ発見するという太陽系小天体のサーベイプロジェクトが多数動き始めた。これによって年間の彗星発見数は増えたが、新発見のほとんどがサーベイプロジェクトによるものとなり、アマチュアの個人が新彗星の発見者になる例はかなり減ってしまった。

最近発見された彗星

5月1日(水) シンクロ率 31 %

寝て過ごす。

「令和」という単語を口に出すのが気恥ずかしくなくなるのはいつだろう。そういえば前回の改元のときも、最初「平成」という単語を使うことに何か恥ずかしさがあったような気もする。1か月前まで存在すらしていなかった言葉を全国民が当然のように連呼し始めるムーブメントに自分が乗っかることの気恥ずかしさ、みたいな感じ。

おっさんの懐古は見苦しいと承知の上で、まあ区切りのタイミングなので平成[1-9]年頃の本を引っぱり出してみる。『Oh!PC』1992年(平成4年)3月15日号。当時はソフトバンクといえば PC ソフト流通と出版の会社だった。

Oh!PC

表2は NEC の広告。DOS/V は OS としては存在していたものの、Compaq などが PC/AT 互換機を日本で売り始めるのはこれの数か月後。NEC PC-9801 が輝いていた最後の時代。大江千里。

NEC

Windows 3.0 は触った記憶がない。'93年発売の Windows 3.1 は使った。3.x は DOS の上で動いていたので、MS-DOS 5.0/3.3C の FD もみんな普通に持っていた。

目次

富士写真フイルムの 2HD フロッピーディスク。森口博子。だぴょ〜ん。そういえばバイト先の先輩(50代後半)が、驚いたときに今でも「ゲロゲロ!」って言うんですけど、どうすればいいですかね。

富士写真フイルム

「遙かなるオーガスタ」。八木山香澄町にあったS君のアパートに遊びに行って、彼の PC-9801FA でこれを遊びまくっていた大学時代の想い出。

遙かなるオーガスタ

忘れかけていたが、Word と Excel というのは Windows の普及とともにシェアを広げていった後発ソフトであって、DOS の時代はワープロといえばジャストシステムの「一太郎」、表計算は Lotus の「1-2-3」だった。

ソフトバンク新刊

「SASI と SCSI って何のこと?」「コプロを積めば一太郎は速くなるの?」死語だらけの世界。

周辺機器 for PC-9801

メモリ空間が 1MB までという 8086 の制限をいろいろな小細工で回避してたくさんメモリを使うためのボード。8MB 増やすのに5万円。今は(Jobs/Apple のおかげか)古い規格を容赦なく切り捨てていくようになったが、当時は後方互換性にやたらと固執して温泉旅館化しているアーキテクチャがいろいろあった。

RAM ボード

パソコン通信における「ダウンロード」の解説。PC-VAN と NIFTY-Serve とアスキーネット PCS の解説が載っている。1992年時点ではインターネットはまだ大学や研究機関を接続していただけで、商用 ISP は存在しなかったはず。一般庶民はパソコン通信で遊んでいた時代。俺は NIFTY に入っていた。

パソコン通信

編集後記の内容でどういう時代だったか何となく分かる。発行人はもちろん孫正義。

奥付

後ろはひたすらパソコンショップの広告ページ。消えた店も多いが、ソフマップはビックカメラ傘下に変わったもののいまだ健在。グラビアアイドルイベントのメッカになるとは当時は想像もしなかった。

ソフマップ

表3の広告はキヤノン。'92年3月の雑誌なので、このウィリアムズのマシンは'91年シーズンの FW14 と思われる。マンセルが car No.5、パトレーゼが No.6 の時代。ポルトガル GP でマンセルのタイヤが取れちゃった頃ですね。'92年シーズンからアクティブサスを搭載した FW14B が登場。2年後にセナが亡くなった。

その前ページはローランド。布袋さんがイベントに来たらしい。

ローランド、キヤノン

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