2023/01/19 追記:
この本はすでに絶版になっています。著者の近藤陽次氏も2017年に死去しました。「おわりに」で書いた通り、2000〜2010年代に WMAP と Planck によって CMB の精密なデータが得られた結果、ビッグバンやインフレーションを前提とする「Λ-CDMモデル」が宇宙論の標準モデルとして確立し、ビッグバンを疑う諸々の仮説は完全に過去の遺物となりました。このページは2005年に書いたもので、宇宙論がまだ精密科学ではなかった WMAP 以前の時代の雰囲気や、学生時代の自分の「若さ」を記録するモニュメントとして、そのまま残しておきます。


近藤陽次著『世界の論争・ビッグバンはあったか 決定的な証拠は見当たらない』(講談社ブルーバックス B1300)の書評、というかツッコミです。中には挙げ足取りのようなものもあるかも知れません。

この本は一般向けの宇宙論の解説書としてはかなり質が低い方だと思うのですが、web 上を検索してもこの本の問題を指摘しているページは見つかりませんでした。それどころか、2ch の天文板や物理板等でこの本の記述を鵜呑みにして暴れる人々が目に付いたりもします。トンデモやネタであることが一目で分かるようになっていればいいのですが(出版元がたま出版だとか、著者がトンデモ界の有名人だとか)、この本の著者は一応本職の天文学者ということになっていて、しかも一般向け科学書としては有名な講談社のブルーバックスの一冊として出版されています。よく知らない人がこれらの看板に騙されてこんな unko 本を購入してしまうのを見過ごすのも忍びないので、とりあえず私から見て変に思われた箇所を列挙してみたいと思います。

(といっても私もプロや専門家ではありませんが、素人の私から見ても「これってどうよ?」と思える所の指摘ということで、何かの参考にでもなれば。)

近藤陽次って誰?

本に書かれている経歴は以下の通り。

1933年日立市生まれ。1965年ペンシルヴェニア大学天体物理学博士課程修了。同大学助教授を経て、アポロ計画からスカイ・ラブにかけて NASA ジョンソン宇宙センターで天体物理部長を務め、その後ゴダード宇宙飛行センターで15年間、国際紫外線衛星天文台長等を歴任。その間、ヒューストン大学、オクラホマ大学等の教授を兼任。国際天文学連合 (IAU) の近接連星委員長、宇宙天文観測委員長、変光星部長などを務め、IAU シンポジウム『ビッグバンを検討する』の論文集を共同編集、出版。趣味は柔道(五段)と合気道(六段)。最近、小惑星の一つ #8072 が "Yojikondo" と命名されている。

これだけ読むと本物、しかも結構大物の天文屋さんに思えます。ADS でこの人が過去に書いた論文を検索してみると、専門は近接連星系やスペースからの観測天文学、といった感じのようです。とりあえず宇宙論ではないことは分かります。

あと、Eric Kotani という筆名で SF も書いているようです。本人の web site に作品リストがあります。

ちなみに2003年にテレビ番組で近藤氏の生い立ちが紹介されたことがあったそうです。天文学者になりたくて、東京外語大を卒業後に渡米してニューヨーク市立大の夜間部に通い、そこからペンシルバニア大の天文の大学院に入ったというなかなか凄い経歴。

ツッコミ

たった1冊のブルーバックスの中にツッコミ所がこんなに満載↓。結構すごいレベルだと思うんですが…。

エカントの説明文抜け / 年周視差と光行差 / 「標準蝋燭法」 / 写真のキャプションの間違い / 赤方偏移という呼び名へのいちゃもん / ハッブル定数という呼び名へのいちゃもん / ニュートンの無限質量分布宇宙 / ラプラスの名前 / ドジッターモデルとアインシュタイン=ドジッターモデル / ディラック方程式 / 定常宇宙論という呼び名 / 「ビッグバン」の由来 / 0K = -273.16℃? / 温度予測がビッグバン説より正確だった云々 / ニアピン論2回目 / ニアピン論3回目 / 煙がもくもく / 超光速キター / 原始ゆらぎ / CMB に対する地球の運動=銀河回転? / (準)定常宇宙論では CMB のむらはあってもなくても良い / 負の物質 / IAU シンポジウム / 超光速再び / 負の物質再び / 無から生まれる宇宙 / 2.73K = -270.43℃? / なぜ銀河系「内」の空間は膨張しないのか / 成長する電子の質量? / クエーサーの親銀河 / 赤方偏移の量子化 / プラズマ宇宙論 / 宇宙空間の温度4回目 / 超光速三たび / 均一と不均一 / 軽元素の存在比 / 「茶色矮星」 / 銀河の回転曲線 / 銀河団の暗黒物質 / ハッブル定数が宇宙膨張の運命を決める? / 加速膨張とダークエネルギー / 未検証の物理理論 / 超巨星の縮退した中心核

エカントの説明文抜け

プトレマイオスの説明によると、まず地球を中心としない円(これを「従円」という)があり、その上に、それより小さい円(これを「周転円」という)が乗っていて、それが惑星を乗せて転回している。従円の中心は、離心点と呼ばれた(図2-2)。(第2章 天動説と地動説 p.34)

プトレマイオスの天動説の説明ですが、図2-2 の説明図には離心点と地球の他にもう一つの点が従円の中に描かれており、この「名無しの点」から周転円に向かって動径が描かれています。しかし本文中のどこにもこの名無しの点の説明がありません。

この点はプトレマイオスのモデルでエカントと呼ばれるもので、この点に対して等角速度になるように周転円が従円上を回るというものです。図に描くならちゃんと説明文も書かないと…。

年周視差と光行差

地動説の決定的な証明は、ニュートンが没してから100年以上も後の1838年に、ドイツの天文学者ベッセルによる、白鳥座の61番星の視差の観測によりもたらされた。

(中野略:フーコーの振り子による地球自転の検出の話)

19世紀の半ばごろまでには、地動説(太陽中心説)がはっきりと確立されたことになるが、コペルニクスの時から数えると、三世紀もかかっていたことになる。

その後、観測の精度が長足の進歩をとげ、地球の太陽をめぐっての運動と、光の有限の速度によって起こる、ちょうど、走っている人に鉛直に落ちてくる雨が斜めに降ってくるように見えるような、恒星からの光の傾斜(光行差)も観測できるようになった。(第2章 天動説と地動説 p.49)

これは間違いです。光行差は年周視差より100年以上前の1729年にブラッドリーによって発見されています。光行差は光速(30万km/s)が有限であるために、光速に対する地球の公転速度(29.76km/s)の比が恒星の見かけの位置のずれとして表れるもので、その大きさは(両速度の割り算から求まる通り)最大で約20秒角です。

一方で年周視差は地球の軌道半径と恒星までの距離との比が恒星の位置のずれとして表れるもので、その値は地球に最も近いケンタウルス座α星でも0.76秒角に過ぎません。このために年周視差の検出は光行差よりも段違いに難しかったのです。このへんの話は天文学史の話をするなら間違えちゃまずいような。しかも、光行差も地球の公転によって生じるわけなので、れっきとした地動説の証拠の一つです。従って「地動説の確立に三世紀もかかった」というのは遅すぎ。

「標準蝋燭法」

例を挙げてみよう。まず、太陽系の近くのある恒星までの距離を、視差の測定によって求め、これを基準とする。次に、距離を測りたい恒星からの光のスペクトル(光を分光器で分解して波長ごとの明るさを示したもの)を詳細に研究して、その恒星の絶対光度(ある決まった距離から見た明るさ)を推定する。この絶対光度を、地球から観測した光度と比較すれば、基準とした恒星(もちろんその絶対光度と観測光度はわかっている)までの距離をもとに、目的とする恒星までの距離を推定できる。

つまり、視差の測れないほど遠くにある星でも、そのスペクトルから絶対光度が分かり、そこまでの距離が割り出せるのである。これは、標準蝋燭法とも呼ばれ、現在でもよく使われている。(第3章 天の川の銀河系と島銀河系 p.53)

なんか違う。スペクトルから絶対等級を推定して距離を見積もる方法は普通「分光視差法」と呼ばれます。標準蝋燭法(こんな直訳日本語は実際には使わず、普通は「標準光源」あるいはそのまま "standard candle" と呼びますが)というのは、セファイドの周期−光度関係とか Ia 型超新星の最大光度のように、絶対的な明るさが一定であることが分かっている天体を使って、その見かけの明るさと絶対的な明るさの差から距離を推定する方法のことです。分光視差法は普通 standard candle の例には含めないと思います。

写真のキャプションの間違い

図3-2 パロマー山観測所に新しく据えつけられた200インチ望遠鏡をのぞくハッブル(1949年)(第3章 天の川の銀河系と島銀河系 p.58)

これはエドウィン・ハッブルのこの(→)写真に付けられたキャプションですが、この望遠鏡はパロマー天文台の48インチシュミット望遠鏡であって、有名な200インチヘール望遠鏡ではありません。200インチヘール望遠鏡は長い間世界最大の口径を誇った有名な望遠鏡なので、天文をやっている人が写真を間違えること自体が意外なのですが、仮にヘール望遠鏡を見たことがなくても、この写真でハッブルの身長と比較すれば口径200インチもないのはすぐ分かるだろうに…と言いたい。

赤方偏移という呼び名へのいちゃもん

赤方偏移とは、観測される光のスペクトル(光を分光器で分解して波長ごとの明るさを示したもの)が波長の長いほう、すなわち赤色のほうに移行する現象である(ただし赤外線など、赤色より波長の長い光を観測している場合には、赤方偏移という言い方は正しくない)。(第4章 膨張する宇宙 p.65)

いや、赤外より長い波長域でも波長が伸びるのを「赤方偏移」と言いますけどね。「正しくない」ではなく、「赤外より長波長側では、波長が伸びると可視光の赤から離れることになるが、波長が伸びる現象全般を慣習的に赤方偏移と呼ぶ」とか何とか、もう少し字数を割いて説明して欲しいです。

ハッブル定数という呼び名へのいちゃもん

ハッブル係数(ふつうは「定数」と呼ばれているが、以下にも述べるように、その数値がよく変わるので、本書では係数と呼ばせてもらう)(第4章 膨張する宇宙 p.66)

これはジョークのつもりかな、とも思いますが、物理定数の実測値がまだよく定まっていない=「定数」とは呼べない、という思考の意味がよく分かりません。まあどう呼ぶかは近藤さんの自由ですが…。

ニュートンの無限質量分布宇宙

ニュートンは1692〜93年ごろに、無限の物質が存在して無限の広がりをもつ宇宙を考えてみたが、このような宇宙では一つの物体に作用する重力の場を計算することができないと知った(「無限」は計算のしようがないのである)。(第4章 膨張する宇宙 p.68)

これは原典に当たっていないので判断できませんが、少なくともアラン・グースの『なぜビッグバンは起こったか』の記述とは違っています。グースの本によれば、ニュートンは「計算することができない」ではなく、「一様密度で有限の領域に質量が分布している場合には重力で収縮するが、無限に広い範囲に分布している場合には収縮しない」と推論したのです。この推論は実際には誤りで、質量分布は収縮します。質量分布に一様・等方の対称性があるので、宇宙膨張に中心がないのと同じように、収縮の中心も存在しません。観測者がどこにいても観測者に向かって収縮するように見えます。この話の詳細については、上記のグースの本の補説 B で詳しく解説されています。

ラプラスの名前

1800年代の初頭には、フランスの天文学者ピエール・ラプラスと、ドイツ出身だが英国で活躍したウィリアム・ハーシェルが、夜空に見える霧のような天体は星の生まれつつある場所ではなかろうかと考えた。(第4章 膨張する宇宙 p.69)

些細なことですが、ラプラスのファーストネームはピエールではなくピエール=シモン (Pierre-Simon Laplace) です。「シモン」はミドルネームではありません。ジャン=ジャック・ルソー、ジャン=ポール・サルトルなどと同じで、フランス人によくある聖人?の名前を二つ連結した名前です。

ドジッターモデルとアインシュタイン=ドジッターモデル

デ・シッター自身も、一般相対性理論を応用した自分自身の宇宙論を展開した。彼は、数学的に、アインシュタインの理論にはもう一つ別の解があることを示した。その解は、まったく何もない、空っぽだが静的ではない宇宙で、そこでは、観測者から遠い場所に行くほど、時間の進み方が遅くなるように見える。この貢献のため、一般相対性理論にもとづいた宇宙論は、通常、デ・シッター−アインシュタイン理論と呼ばれる。(第4章 膨張する宇宙 p.72)

現代の主流となっている宇宙論は全て一般相対論に基づいているわけですが、それを総称して「デ・シッター−アインシュタイン理論」などとは呼びません

現代の宇宙論に出てくる宇宙モデルは全てアインシュタイン方程式から導かれるフリードマン方程式の解です。密度パラメータや宇宙定数、曲率パラメータと呼ばれるいくつかのパラメータの値によって宇宙の時間発展の仕方が異なり、それぞれの解に名前が付けられています。その中に「ドジッターモデル」と「アインシュタイン=ドジッターモデル」と呼ばれるモデルがあります。

ドジッターモデルは密度パラメータが 0、すなわち物質がない宇宙モデルで、宇宙定数の効果によって指数関数的に膨張します。 アインシュタイン=ドジッターモデル(EdS モデル)は宇宙定数が 0、曲率パラメータが 0 (平坦)の宇宙で、膨張は時間とともに減速していきますが、収縮に転じることはないというモデルです。近藤氏は上記の文章の前半で前者のドジッターモデル、後半で後者の EdS モデルのことを言っているようですが、EdS モデルはあくまでも一般相対論に基づいた数ある宇宙モデルの一つに過ぎません。

また、ドジッターモデルで「観測者から遠い場所に行くほど、時間の進み方が遅くなるように見える」という記述も何のことだか良く分かりません。

ディラック方程式

ところで、いかにして、この宇宙の「火の玉」あるいは「原始アトム」が生まれたかということが問題になるが、1937年にポール・ディラックが、いわゆる大数理論にもとづいて、素粒子が自然発生できるという説を提唱した(ちなみにディラックは、電子の波動方程式を導入して陽電子の存在を予言し、1933年にノーベル賞を授与されている)。彼はその後、物質が無から自然発生するという説を捨てて物質不変論に宗旨替えをしたが、物質が無から自然に発生しうるとする説は、その後の宇宙論に大きな影響をあたえることになる。

数十年後にノーベル賞を受けることになる、インド生まれでシカゴ大学の若手の天文学教授だったスブラマニアン・チャンドラセカールも、星の内部において素粒子が無からの自然発生をするという概念に賛成した一人だった。(第4章 膨張する宇宙 pp.73-74)

ディラックが「電子の波動方程式を導入して」ノーベル賞をもらったというのは文章を端折り過ぎ。電子の波動方程式自体は量子力学ができた時から使われてますし。「相対論的な波動方程式であるディラック方程式を新たに導入して」くらい書いて欲しい。

ところでここに書いてある、ディラックやチャンドラセカールが無から素粒子が自然発生することを信じていた、という話は何のことでしょうね。仮想粒子対の対生成・対消滅のことでしょうか。ソースの調べようがなかったので何とも言えません。この次の段落で定常宇宙論の話に入っていくので、偉大なノーベル賞物理学者も無からの物質生成を信じていた、というエピソードをここで挟むことで、定常宇宙論の物質生成説への支持材料としたいという近藤氏の意図を感じなくもないです。

定常宇宙論という呼び名

ホイルおよびゴールドとボンディの仮説は、宇宙が膨張すると、その空間に無から素粒子が自然に生まれて、その空間を埋めるというもので(無論、宇宙に始まりなどないと考えた)、「定常 (Steady State) 宇宙説」と呼ばれるようになった。

しかし、これはホイルの喜ぶところではなかった。というのは、ホイル、ゴールド、ボンディの論が描く宇宙は、けっして定常的なものではなく、もっとダイナミックなもので、これではまちがった印象をあたえるからだ。(第4章 膨張する宇宙 p.75)

というか、Steady-State Theory と「呼ばれるようになった」のは、最初の論文でゴールドとボンディ自身がそう呼んだからだと思うんですが…。

「ビッグバン」の由来

これも運命の皮肉といえるかもしれないが、ビッグバンという有名な名称を、「火の玉」の爆発につけたのはホイルだった。彼は、対抗理論を少々冷やかそうと思って、ある会議で「ビッグバン」という表現を使ったのだ。

この即席のニックネームは、宇宙「火の玉」爆発起源説の支持者たちにとっては、かなり迷惑な話だったが、そのままそれがくっついてしまって、天文学者間のみならず、一般の人も、その名でこの論を呼ぶようになってしまった。(第4章 膨張する宇宙 p.76)

ホイルが「ビッグバン」の名付け親だというのはその通りですが、私が知っている "Big Bang" の初出は、ホイルが出演していた 1949年の BBC のラジオ番組 "The Nature of Things"で初めてホイルがそう言ったという説です。前述のグースの本でもこの説を採っています。また、ビッグバン陣営がこの名前を迷惑がったという話もあまり聞いたことがありません。ビッグバン論者の代表格だったガモフがむしろこの名前を面白がって率先して使うようになって定着した、という話ならよく知られています。

0K = -273.16℃?

宇宙背景放射というのは、星や銀河系などの発光物体からくる光を除いた、宇宙空間そのものからやってくる光のことである。普通、その光が、絶対温度にして何 K(ちなみに零 K〈ケルビン〉=マイナス273.16℃)の黒体放射に相当するかで表される。(第5章 ビッグバン論と定常宇宙論 p.80)

0K は -273.16 ℃ ではなく -273.15 ℃です。水の三重点の絶対温度が 273.16K だという話と混同したのでしょうか。これは編集者が気付いて直すべきという気もしますが。仮にもブルーバックスの編集担当ならこれは気付かないといかんでしょう。ちなみにこれは単なる typo ではなく、近藤氏自身が -273.16 ℃ と間違えて覚えているらしいことが後に明らかになります。

温度予測がビッグバン説より正確だった云々

ところで、多くの人たちが(無論、天文学者も含めてだが)、宇宙背景放射はビッグバン論のみが予言したもので、ビッグバン論でしか説明できないと信じているようだが、それは必ずしも正確とは言えない。

前述のアーサー・エディントンは、1926年に出した天体物理学の教科書用の専門書に、恒星間空間の温度を銀河系内の星の光の強度から計算して、絶対温度で 3.2K と算出している。

その数年後、島銀河系の存在が確立されてから、ドイツの天文学者エルンスト・レゲナーは、宇宙空間でのイオン化現象を研究して、星からの光がほとんど無視できるような状態の銀河系間の空間の温度を計算し、絶対温度で 2.8K とした。

さらに1941年、A・マッケラーは、カナダのビクトリア天文台の台報に、恒星間物質のスペクトル観測から恒星間空間の温度を 2.3K と算出した、と報告している。

これらの数値は、どれも、最近の宇宙背景放射の測定値である 2.73K に驚くほど近い。

また、この三つの数値は、1965年に初めて観測されたときに出された背景放射温度の 3.5K とくらべると、最近の測定値 2.73K により近い。(第5章 ビッグバン論と定常宇宙論 pp.81-82)

この主張は近藤氏のお気に入りのようで、これ以降もこの本に何度となく登場しているのでちょっと真面目に検討しておきます。

○エディントンとレゲナー

最初のエディントンの計算は The Internal Constitution of the Stars という教科書に登場するそうです。このブラジルの研究者の論文で元々の記述が引用されています。(後述のレゲナーやマッケラーの研究についてもこの論文に載っています。これが近藤氏の元ネタ?)

ここでエディントンが紹介している計算は、地球を取り巻く恒星の輻射場(1等星1000個分と仮定しています)の中に置いた黒体が放射平衡に達した時の温度を求めたものです。要は入射する恒星光のエネルギーフラックスからステファン・ボルツマンの法則を使って温度を求めただけです。そうすると 3.18K になると。(ちなみに、この本の出版年はハッブルがようやく系外銀河を発見したかしないかぐらいの頃なので、エディントンの頭の中ではまだ「宇宙=我々の銀河系」だった可能性が高いという点は理解しておいた方が良いでしょう。)

一方、レゲナーの研究については原論文がドイツ語の論文誌 (Regener, E., 1933, Zeitschrift für Physik 80, 666-669) のものなので web で検索することはできませんが、英訳した文章が上記と同じブラジルのサイトに載っています。こちらは大気圏外で宇宙線の照射を受けた物体の温度変化の観測を元に、このような宇宙線の中に置かれた物体が熱平衡に達した時の温度を例によってステファン・ボルツマンの式から計算してみると 2.8K になった、という話です。

まとめると、両方とも何か典型的な宇宙空間のエネルギー場(恒星の光とか宇宙線とか)を仮定して、そういった入射エネルギー源が存在する空間に黒体を置いて熱平衡に達したら何度になりますか? という問題をステファン・ボルツマン則で解くとそういう温度が求まった、という話なのですが、重要なのは、こうして求まった温度が当初のビッグバン派の CMB 温度予測よりも実際の CMB の温度に近かったからといってそれがどうした? という点です。

忘れてはならないのは、ペンジアスとウィルソンは宇宙に温度計を持っていって温度を計ったわけではなく、あくまでマイクロ波の背景放射を発見したという点です。ですからこの 3K の黒体スペクトルを持つマイクロ波をエディントンやレゲナーが考えたような恒星光や宇宙線の場で説明しようと言うなら、それらと熱平衡に達してマイクロ波を放射している黒体に近い物質が宇宙空間にあまねく分布しているという仮定をさらに設けなければなりません。何もない所からマイクロ波の光子は出てきません。

で、このようなモデルが妥当かどうかですが、もしこのような輻射場 + 黒体物質によるマイクロ波が CMB の正体なら、黒体物質は極めて一様に(銀河内にも銀河間にも)分布している必要があります。そうでなければ密度の差が CMB の強度分布に反映するはずです。また、黒体物質を温めている輻射場の方も極めて一様でなければなりません。これはかなり不自然な仮定で、実際には恒星がたくさんある銀河面に近い場所の方が輻射のフラックスは大きいでしょうから、それに応じて CMB の温度分布に銀河面との相関が出るはずです。実際の CMB にはそのような非等方性は見られないため、こういったモデルは容易に否定されます。

○マッケラー

三番目のマッケラーの話も原論文は天文台報なので web で検索することはできませんが、概要が PASP に投稿されています。前述のサイトにも引用が載っています。この分野はあまり詳しくないので適当ですが、星間空間の CN 分子の回転に対応するエネルギー準位が二つあって、それぞれの吸収線の強度を観測することで CN 分子ガスを取り巻く輻射場の温度を間接的に推定できる、で推定した値が約 2.3K でした、という話のようです。

これはビッグバン以外のモデルから導かれる予言というようなものではなく、「CN 分子を取り巻く輻射場がそういう温度になっているらしい」という単なる観測結果です。2.3K の輻射の起源については何も言っていないので、「ビッグバンに代わる説明」にはなりえません。実際、この CN 分子のエネルギー状態はまさに CMB の輻射によって励起されたもので、マッケラーはそれをいち早く観測していたのだ、という解釈をしている研究者ならたくさんいます。

ということで、以上の三つの研究は CMB の輻射に対する「ビッグバン以外の説明」とはなりえません。個々の研究内容を理解せずに最終結果の温度の数値だけでニアピン大会のような議論をしても意味がないということがよく分かると思います。

ニアピン論2回目

要するに、ビッグバンの支持者の計算した背景放射の温度が、その後実際に観測された数値に、常に近い値だったわけではない。現在の観測結果の 2.73K に一番近かったのは、ビッグバン支持者が計算した背景放射の温度ではなく、むしろレゲナーの計算した銀河系間空間の温度 (2.8K) だった。(第5章 ビッグバン論と定常宇宙論 p.85)

前に書いた通りで、温度だけを比較しても無意味ですし、レゲナーが導出した温度は「銀河系間空間の温度」などではありません。

ニアピン論3回目

ここで読者諸氏にもう一度思い出していただきたいが、ビッグバンの支持者の他にも、銀河系間空間や恒星間空間の温度を計算した天文学者が30〜40年前からすでにいて、もしその温度と熱平衡状態にある微細粒子が存在してそれが観測可能ならば、絶対温度にして 3K 付近の背景放射が観測されうる可能性を提示していたのだ。

しかも、ビッグバンの支持者たちがウィルソンとペンジアスの観測以前に予測した温度は、観測された数値の 3.5K よりもかなり高いものが多かった。(第5章 ビッグバン論と定常宇宙論 p.88)

これで3回目ですね。ここにきてようやく、背景放射が観測されるためには輻射場だけでなく「微細粒子」が必要だという記述が出てきました。よく知らない人はなぜ急に微細粒子などというものが登場するのか不思議に思うかも知れません。

煙がもくもく

その後、宇宙背景放射の観測の精度が向上し、観測資料の量も増えてくると、その放射がどの方向を見ても非常に均一で、不均一性が皆無と思われるようになったが、これは「火の玉」爆発説では説明できなかった。つまり、「火の玉」の爆発のあと、宇宙が各方向に極度に均一に膨張しなければならない必然性がないのだ。

我々がテレビなどで爆発の瞬間を見るとき、もくもくと上がる煙がきれいな球形になることはあり得ない。「火の玉」が爆発して各方向に均一に膨張することは、非常に難しいことなのだ。

この問題を克服するために、1980年から1981年にかけて、ゴダード宇宙センターのデモステネス・カザナス、東京大学の佐藤勝彦教授、マサチューセッツ工科大学のアラン・グースが別個に論文を発表した。(第5章 ビッグバン論と定常宇宙論 p.89)

インフレーション理論の登場について語っていることから、おそらく標準ビッグバン理論の地平線問題について言っているのだろうと思いますが、説明が極めて不正確です。地平線問題とは、「過去に情報のやり取りがなかったはずの遠く離れた領域同士が非常に似ているのはなぜか」ということです。煙が球形にならない理由とは全く関係ありません。

しかも、宇宙膨張は一様かつ等方な空間自体が膨張するもので、火薬の爆発のように爆発の中心が存在するわけではありません。そういう意味でも初心者に非常に間違ったイメージを与えかねない比喩だと思います。(もちろん、近藤氏自身が誤解しているという可能性もありますが…。)

それにしてもこの本は宇宙論の解説書であるにもかかわらず、「一様」「等方」「宇宙原理」「完全宇宙原理」などの言葉が一度も登場しません。この事実だけを見てもひどい本だな、と思います。

また、これは些細なことですが、ここに書かれているインフレーション理論の提唱者三人の所属組織はインフレーション理論の発表当時のものではないですね。佐藤さんは京都大学もしくは NORDITA のはずですし、グースは SLAC でした。このへんもちゃんと書いて欲しい。

超光速キター

何しろほとんどゼロ(いわゆるプランク長さ=10-33センチメートル。後述)の大きさから1センチメートルほどの大きさに膨れるのに10-33秒くらいの時間しか要しないのだから、その膨張は光速をはるかに超えるものだ。そして、それだけ初期の膨張が速ければ、背景放射の均一性を保つことができるとするのである(ただし、膨張するのは宇宙の空間そのもので、創造された物質がそのように特殊相対性理論に反するような超光速でお互いに飛び去っていくのではないという説明がついている)。(第5章 ビッグバン論と定常宇宙論 p.90)

地平線問題の解決について何の説明にもなっていない…。インフレ・ビッグバン理論の方ばかりいちいちこんな曖昧な説明でスルーされたら、何も知らん人はそりゃ「なんかビッグバンって怪しい」と思っても無理はない気がします。

インフレーションで地平線問題が解決されるのは、インフレ前の宇宙の非常に狭い一部分(情報のやり取りが十分できて密度が一様化できるくらい狭い範囲)が指数関数的に引き伸ばされて、現在我々が見ている範囲以上に広がったと考えればよいからです。

さらに、インフレーションモデルを採用すれば平坦性問題やモノポール問題という他の様々な問題も一挙に解決できる、という大きなメリットがあり、だからこそ多くの研究者がこのモデルの妥当性を信じているのですが、これについては近藤氏は一言も触れていません。このあたりも「中立」を標榜しながらアンフェアな書き方をしているな、と思います。

ちなみにインフレーションによる宇宙膨張が光速を超えることが不服であるかのような書きっぷりですが、今更天文学者がここを疑うかよ、という感じですね。特殊相対論の「慣性系で物の運動が光速を超えない」という話と宇宙膨張でスケール因子が超光速で伸びる話は別の話です。これはもう FAQ なのでまともな宇宙論・相対論の本ではたいてい説明されていると思いますが、例えば松田卓也・木下篤哉『相対論の正しい間違え方』の p.123 などで解説されています。Web では「いろもの物理学者」こと前野昌弘さんのワープ理論の説明ページなどが有名です。ここの時空図を見ればすぐ納得できると思います。

原始ゆらぎ

観測された銀河系の群は、高度に均一であるとされていた宇宙背景放射の観測と、相反することになる。つまり、背景放射の均一性を説明するために、急激に膨張するインフレーション過程を想定したインフレーション・ビッグバン論が登場したわけだが、今度は逆に、膨張の均一性と、銀河系が群をなしていること、つまり銀河系の所在が均一でないことが矛盾してしまうことになったのである。

そこで、今度は、背景放射のごく微妙な不均一性、要するにその「むら」を探す観測に熱意が集中されることになる。(第5章 ビッグバン論と定常宇宙論 p.91)

近藤氏は勘違いしているようですが、銀河団や大規模構造が存在することは宇宙原理(宇宙の一様等方性)とは矛盾しません。宇宙原理はもっとずっと大きなスケールで成り立つものだからです。しかも相変わらずここでも「膨張の均一性」などと分からないことを言っているし…。

CMB に対する地球の運動=銀河回転?

彼らは、さらにその観測から、方角によって背景放射のピークの波長が少々ちがうことを探知した。これは、太陽系の銀河系内の運動によるものと解釈され、その運動速度はほぼ毎秒300kmと推測された(他の資料による太陽系の銀河系内での進行速度は、毎秒約220kmとされているから、背景放射観測からの速度測定の精度の低さを考慮に入れれば、マサーの結論は、もっと精度のよい他の観測と、だいたい合っているといえるかと思う)。(第5章 ビッグバン論と定常宇宙論 p.92)

これは COBE が観測した CMB 温度の非等方性マップに双極子成分があり、これが CMB に対する地球の相対運動を示していることを書いている文章です。地球の進行方向の CMB は青方偏移を受けて温度が上がり、遠ざかる方向は赤方偏移して温度が下がります。有名な CMB のむらむらの絵はこの双極子成分や銀河系からの放射の成分を差し引いた後の絵です。

で、近藤氏はこの双極子成分を生じさせている地球の運動速度 300km/s を銀河系内の太陽系の回転速度 220km/s と比較して精度云々を言っているわけですが、この運動速度には銀河系の回転だけが含まれているわけではありません。銀河系自体が局部銀河群と呼ばれる銀河群に属していてその中を運動していますし、局部銀河群全体もおとめ座銀河団に引かれています(COBE の結果に基づく計算ではこの速度は約600km/s と見積もられています)。おとめ座銀河団も当然宇宙の中で他の銀河団や大規模構造と重力を及ぼしあって運動しています。そういう運動が全部合成された結果が 300km/s なのです。銀河回転の 220km/s との差は観測精度の低さによるものなどではありません。果たして近藤氏は自己重力系の力学平衡という概念を理解しているのか、不安になります。

だいたい、もしこの 300km/s の大部分が銀河回転によるものなら、双極子成分の軸は銀河面に一致しているはずです。実際の双極子成分の方向が銀河面とずれて巴のような図になっていること自体、この運動に銀河回転以外の運動が大きく寄与していることを示しています。

ちなみにこの 300km/s という COBE の観測値は正確には 369.0 ± 2.5 km/s です。

(準)定常宇宙論では CMB のむらはあってもなくても良い

念のために言い足しておくと、背景放射の不均一(むら)は、インフレーション・ビッグバン論にとっては、銀河系の群を説明するのに必要な観測資料だが、定常宇宙論にとっては、不均一(むら)の有無は、その理論の正否とは関係がない。だが、特別の法則にしたがう必要のない銀河系間空間の物質の分布が均一でなければならない理由があるわけではないから、次に述べる新しい準定常宇宙論でいうように、銀河系間空間の低温度物質が背景放射の原因だとすれば、背景放射に多少のむらがあっても不思議ではなかろう。(第5章 ビッグバン論と定常宇宙論 p.93)

この後にもこの種の言説が頻出するのですが、こういうことを書いて何とも思わない所に近藤氏の物理(というか自然科学)に対するセンスのなさを感じます。

非等方性が存在するという観測結果に対して、なぜあるのか、なぜ振幅がその値でなければならないのかを説明しようとするのは科学の動機としては当然のことです。「別にあってもなくてもいいよ。俺の理論ならこことここを調整すればどっちの結論でも導けるから」というのはただの後出しジャンケンであって科学ではありません。その理論には予言能力がないと言っているようなものです。

負の物質

ホイル、ナーリカー、バービッジの新理論は、前述のように準定常宇宙論と名づけられて発表された。以前の説とちがうのは、無からの物質の創造がもっと大規模におこなわれ、いわば無から正の物質とエネルギーを生み出した代償として、負の物質・エネルギーとしてブラックホールが生まれるということと、宇宙背景放射は微細な鉄もしくは炭素の塵が銀河系間の空間に存在し、それがその環境と調和した温度で黒体放射をしているものとすることである(半世紀以上前にレゲナーが銀河系間の空間の温度を 2.8K と計算していることをここでもう一度思い出していただきたい)。(第5章 ビッグバン論と定常宇宙論 p.95)

負の物質って何? しかもまたレゲナーの 2.8K。よほど気に入っているようです。

ちなみに準定常宇宙論支持者が言うような鉄や炭素の塵からの放射を CMB の起源とする説では現実とは全く合わないことを、グースが前述の本で以下のように述べています。

スペクトルが完璧だったことは、ビッグバンが非常に単純だったことを意味する。COBE チームは、背景放射のエネルギーのうち、ビッグバンの1年目以降に放出されたものは 0.03% 以上ではありえないと見積もった。激しい運動や未知の素粒子の崩壊から、あるいはすでに知られている星に先立つ爆発する星や巨大な星から、あるいはその他の何十もの興味深い仮想上の対象からエネルギーが放出されたことを予測する議論は一挙に斥けられた。まだ諦めていない定常宇宙説の支持者が少しいるが、この説は排除されたと COBE チームは宣言した。定常宇宙ではほぼ完璧な黒体スペクトルが生じるのは、さまざまな物体からなる濃い霧がマイクロ波放射を吸収・放出し、放射が一様な温度になるのを可能にする場合だけだ。定常宇宙説の提唱者は、星間空間は、そのような霧をつくりだす鉄の髭結晶の薄いちりでみたされているのかもしれない、と唱えたことがある。しかし、新たなデータを説明できるほど濃い霧は、遠くの発生源が見えないくらい不透明なはずだ。

これほど正確なデータに照らして考えると、ビッグバンに代わる妥当な説は想像しがたい。(アラン・グース『なぜビッグバンは起こったか』pp.121-122)

IAU シンポジウム

この会議には、ビッグバンの専門家も多数出席していた。質疑応答はあったが、伝説的な七十余年前のカーティス−シャプレー討論のような華やかな論争には、ほど遠いものだったし、どちらが正しいかという答えは、無論出なかった。現存の天体物理の観測資料や物理理論からでは、結論の出なかったのが、むしろ当然かもしれない。(第5章 ビッグバン論と定常宇宙論 p.95)

これは近藤氏が『ビッグバンを検討する』という IAU シンポジウムを開催した時の話ですが、出席者のテンションが低くて華やかな論争にならなかったのは、結論が出なかったのではなくて単にもうそんな話は終わってるからだったのではないでしょうか。ちなみにこのシンポジウムの集録も出ているので興味のある方はどうぞ。正式なタイトルは "IAU Symposium No. 168 Examining the Big Bang and Diffuse Background Radiations" らしい。

超光速再び

プランク長さは、10-33cm ほどの長さで、ゼロを並べて書けば、0.00000000000000000000000000000001cmとなる(ちなみにプランク時間は、約10-43秒)。この大きさから、最初のインフレーションが終わる 1cm の大きさに膨張するのに約10-33秒かかるから、この膨張の速度は、光の速度の 1022 倍以上ということになる。この段階で、超光速のインフレーション的膨張が終わる。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 pp.98-99)

近藤さん、0 が1個足りません…。本の数字を何度も数え直しましたが、0 が32個しかありません。まあそれは校正漏れということで大したことではないですが、ここでもインフレーションの膨張を超光速と言っています。前述の通り、宇宙膨張でスケール因子が超光速で膨張しても一般相対論的には特に問題ありません。そもそもインフレーションに限らず、ハッブル則に従う膨張を考える限り、ハッブル半径 D = c / H0 より遠くにある天体は我々から超光速で遠ざかっていることになるわけですが、インフレーションの超光速膨張を気にする人はこちらは気にならないんでしょうか。

負の物質再び

準定常宇宙論によれば、宇宙には初めもなければ終わりもない。ハッブルの観測による銀河系の赤方偏移に示されるように、宇宙空間は、その性質として、常に自然膨張している。その膨張のために生まれる空間は、新しく生まれてくる物質で満たされるから、宇宙はいつ見てもほぼ同じように見える。この新しい物質、つまり正の物質(正のエネルギーも含む)が生まれる際に、それと相対する負の物質(負のエネルギーも含む)が生まれる。これがブラックホールである。こうして、宇宙内の物質とエネルギーの均衡がいつもとれていることになる。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 pp.100-101)

負の物質って何?しかもそれがブラックホールて。

無から生まれる宇宙

前にも少し触れたが、この無から物質やエネルギーが生まれるという構想は、フレッド・ホイルが半世紀以上も前に定常宇宙論で提案したもので、その当時のビッグバン支持者たちは、それはあり得ない物理現象だとして非難したりあざけり笑ったりした。だが、現在のインフレーション・ビッグバン理論では、ホイルが最初に提案したように一つ一つの水素原子が真空から生まれるどころではなく、宇宙の全部が一時に無から生まれるとしている。まさに運命の皮肉といえよう。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 p.101)

ムードだけで一緒くたに語ってしまっていますが、ホイルが定常宇宙論での物質生成の具体的な物理過程について特に述べなかったのに対して、現代のヴィレンキンの無からの宇宙創生説やハートル=ホーキングの無境界仮説は一応、一般相対論と量子力学の枠組の中で構築されている、という重要な違いを忘れてはいけないでしょう。

また、近藤氏は「インフレーション・ビッグバン論」という名前で一まとめにしていますが、

はそれぞれ対象とする時刻が違いますし、理論に対する観測的裏付けの有無にも大きな差があります。現状では (A) には強力な観測的証拠がありますし、(B) から導かれる予言(CMB の非等方性マップのパワースペクトルなど)も観測で確かめられています。それに対して (C) のヴィレンキンなどの理論はまだお話だけという段階です。(C) が怪しいからと言って (A),(B) も同様に怪しいと思わせる論法には論理的飛躍があると言えます。

ちなみに近藤氏は (C) の理論について、「水素原子が真空から生まれるどころではなく、宇宙の全部が一時に無から生まれるとしている」と書いていますが、現在言われている無からの宇宙創生理論では、無から生まれる宇宙はサイズも質量も水素原子よりずっと小さいです。不確定性原理によって真空から何かが仮想的に生まれてから消えるまでの寿命はそのエネルギーに反比例するので、寿命の長いものを生み出すためには質量は小さくなければなりません。生まれた宇宙がたとえ原子より小さくても、生まれた後でインフレーションで膨張させるので問題ないし、エネルギーの方は重力エネルギーの符号が負になるので、それとキャンセルする分だけ正のエネルギーを作れてこれも問題ない、ということになっています(グースはこのからくりを「究極のフリーランチ」と呼んでいます)。

2.73K = -270.43℃?

準定常宇宙論では、宇宙背景放射は、銀河系間の空間に無数に存在している微細な鉄もしくは炭素の塵が、その空間の低温度(2.73K = -270.43℃)で発光しているものによるものとする。

この銀河系間空間の温度については、1930年代にレゲナーが 2.8K と推定していて、これはビッグバンの支持者たちの計算した背景放射温度よりも、実際に観測された背景放射温度 2.73K に、今振り返ってみても驚くほど近い。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 pp.101-102)

2.73K は -270.43 ℃ ではなく -270.42 ℃です。やはり近藤氏は 0K = -273.16 ℃ と思っているようですね。そしてまたレゲナーの 2.8K。

なぜ銀河系「内」の空間は膨張しないのか

だが、最近のインフレーション・ビッグバン論では、銀河系が飛び離れていっているのは、個々の銀河系そのものが物理的に動いているのではなく、銀河系間の空間が膨張しているのであるとする。

要するに、(物理的にはあまりよいたとえではないかもしれないが)豆餅を焼くと、餅が膨れてきて、豆のあいだの距離が大きくなるが、これは餅が膨れるからで、豆そのものが動くのではないとするようなものだ。

では、もし、銀河系「間」の距離が空間の膨張により大きくなるものなら、なぜ、銀河系「内」での星のあいだの距離が膨張して増大しないのか、という問題が提起される。この場合は、インフレーション・ビッグバン論では、銀河系「内」の重力の場が強いため、その空間は膨張しないのだ、と説明する。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 pp.101-102)

これも FAQ 中の FAQ ですね。標準的宇宙論では議論の前提として宇宙原理から出発します。宇宙原理は「大きなスケールで見れば宇宙は一様等方である」という原理です。この原理を満たす時空の計量としてロバートソン・ウォーカー計量が導かれ、この計量の下でのスケール因子の時間発展方程式を導出すると、宇宙の膨張(または収縮)を予言するフリードマン方程式が得られる、というストーリーになっています。

ここで大事なのは宇宙原理の「大きなスケールで見れば」という但書です。実際の宇宙には恒星や銀河や銀河団や大規模構造など様々な構造があって、そういう小さなスケールでは当然一様でも等方でもありません。宇宙原理(と、そこから導かれる宇宙の膨張則)はそのような小さなスケールでの非一様性が無視できるほど大きなスケールを前提にしているので、太陽系や銀河内部のような小スケールで膨張が表れないのは当然ですし、そのような小さな系の時空が RW 計量で記述できるわけがありません。例えば太陽系のように中心に質量が集中している系なら RW 計量ではなくシュバルツシルト計量の方が適しているでしょう。

ということで、銀河自体が膨張しないのは「銀河内部の重力の場が強いため」と言ってもまあ悪くはないですが、もう少しまともな言い方をすると上記のように「そもそも話の前提(計量)が違うじゃん」ということです。ポンと投げて100m先に落ちたボールの軌道は、平らな地面(鉛直平行な重力場)という前提の下では放物線ですし、地球の表面から投げた(球対称な重力場)という前提なら楕円となります。それと同じで前提が違うから違う答になるだけ、と言えばいいですかね。

成長する電子の質量?

準定常宇宙論では、クエーサーは、真空からの物質・エネルギー創造の副産物であると見なす。この見解によれば、クエーサーは、はるか遠くにあるきわめて若い天体、すなわち宇宙誕生初期に発生した天体ではなく、銀河系の中で起こる真空からの物質・エネルギー創造により生まれ、その産みの親の銀河系から放出されたものである。

(略)

どういうことかというと、生まれたての天体を構成する物質の電子は、若いためにその質量がまだ小さく、その電子が原子内で軌道遷移する場合のエネルギーがその分小さく、その軌道遷移に対応するスペクトル線は(何億年後かに原子の中の電子の質量が通常のものになるまで)赤方偏移して見えるというのである。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 pp.105-106)

この本に感化されて準定常宇宙論の素晴らしさを説いている人たちは、電子の質量が成長とともに増えるというアイデアのクレイジーさについては何も感じないんですかね。世界中の加速器の中で電子・陽電子対は毎日大量に作られていますが、生まれたばかりの電子が軽いという話は聞いたことがないです。

近藤氏はビッグバン理論についてはいろいろと疑問を(的外れながら)投げかけていますが、この話の奇怪さについては特にコメントはしていません。

クエーサーの親銀河

ホールトン・アープは、1970年代に、クエーサーと、それらを放出したと思われる「親」銀河系とを、当時最大の望遠鏡だったパロマー山の200インチ反射望遠鏡(図3-2参照)で観測して、その「親」銀河系との関連性から、クエーサーは宇宙誕生初期に生まれたものではないという見解を発表した。観測したクエーサーの近くに、それを放出したと思われる「親」銀河系が観測されることが、統計的に意味をもつほどに多かったのである。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 p.107)

これももう少し正確に書いて欲しいのですが、クエーサーが通常の銀河から放出されたものであるという説をアープが主張しているのは、異なる赤方偏移を持っているクエーサーと銀河の間に「橋」がかかっているような構造が見られる例をたくさん見つけたためです。これについてアープ以外の大多数の天文学者は、近くの銀河が遠くのクエーサーにたまたま重なって見えているだけだと解釈しています。「統計的に意味があるほど多い」と思っているのもまあアープだけでしょう。

ちなみに、図3-2 の写真は前述のように200インチ望遠鏡ではありません。

赤方偏移の量子化

1974年ごろからアリゾナ大学のウィリアム・ティフトは、赤方偏移の数値が、不連続に、一定の区切られた数値で現れるという観測結果を報告している。これは、赤方偏移の量子化とも呼ばれ、彼の観測によると、それは毎秒72.4kmごとの段階に区切られている。

つまり、赤方偏移が毎秒72.4kmの銀河系がいくつか観測されたとしたら、その次に観測されるいくつかの銀河系の赤方偏移は、ほぼ毎秒144.8kmということになる。

もし、将来の観測資料がこの説を支持することになると、これはインフレーション・ビッグバン論とは合致しない。膨張が飛び飛びに起こるなどということは、あり得ないからである。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 p.109)

ティフトの「周期的赤方偏移」モデルは、最近のバージョンでは銀河の後退速度の周期 P は単なる 72km/s ではなく、P = c * 2-(9D+T)/9(c: 光速、D,T: 正の整数)で表される、という風にかなり複雑化しているようです。この説に対する他のまともな研究者たちの評価は当然のことながらほぼ無視といったところです。恒星内部での元素合成の研究や Salpeter's IMF で有名な天文学者のエドウィン・サルピーターは2005年の論文で、この「赤方偏移の量子化」説は "subconscious cheating" または "file drawer effect"(都合の悪いデータを公表せずしまい込んでしまう)によって生じた誤りの典型例である、と切って捨てています

このようなヨタ話は天文学に限らずあらゆる自然科学の分野に存在すると思われますが、初心者向けの解説書の紙面で、かなり信頼できる理論とまあまあ裏付けのある理論と全くのヨタを区別せず並列に扱うのはやめて欲しいものです。

プラズマ宇宙論

プラズマ宇宙は、同分量の、普通物質と反物質からなり、その両者は宇宙の電磁場により分離されている。この混合プラズマはそれ自身の重力により内部崩壊し、その結果、密度が 1cm3 あたり1万粒子くらいまで上昇すると、通常の物質と反物質とが激しく反応する。

その際、双方の質量が全部エネルギーに変わり、そのために大爆発が起こり、その爆発の起こった部分の宇宙(銀河系の集合)が膨張する。その膨張している銀河系の集合が、現在我々の見る宇宙である。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 p.112)

このように爆発の中心がローカルに存在するような爆発では宇宙膨張の一様等方性を説明できないため、このようなモデルはずいぶん昔に捨てられています。…という話くらいは書いておいた方がいいと思うのですが、近藤氏は特に何も書いていません。ちなみにグースは以下のように書いています。

…実際、1962年、オスカー・クラインとハンネス・アルヴェーンは局所的な爆発のモデルを提案した。観測されるハッブル膨張は物質と反物質の消滅による爆発によって引き起こされたのかも知れないと二人は唱えた。このようなモデルはたいへんもっともらしく聞こえるが、観測と矛盾するように見える。問題は、局所的な爆発では観測される背景放射の一様性が説明できないということだ。初期におこなわれた背景放射の測定で、背景放射がおよそ 0.5% の正確さで等方性を持つという結果が出た。もっと最近の測定では、背景放射がおよそ10万分の1まで一様だという結果が出ている。一方、天空の特定の方角で局所的な爆発が起きたとすれば、この方角は背景放射の熱い斑点として見えるはずだ、と考えられる。局所的な爆発という考えは、私たちがたまたまちょうど爆発の中心だった場所に住んでいる場合にしか、成り立たない。私たちが中心にそんなに近いというのはとてもありそうにないように思われるから、局所的な爆発の可能性は、あまり真剣に検討されていない。(アラン・グース『なぜビッグバンは起こったか』p.111)

1962年といえば CMB の発見以前ですからね…。

宇宙空間の温度

さて、前にも触れたように、宇宙背景放射が宇宙論にからんで重要視されるようになる前に、宇宙空間の温度についての計算が、すでにいくつかされていた。

(略)

いずれにしろ、宇宙空間の温度そのものが、宇宙論とはまったく関係なしに、3K 近辺だという推定は、ウィルソンとペンジアスによる背景放射の探知の20〜30年前からあったのだ。

準定常宇宙論では、銀河系間の空間には、ごく微細な鉄もしくは炭素の塵が無数にあり、その温度は銀河系間空間の温度と平衡状態にあって、発光しているものとされている。とすると、背景放射は、主として銀河系のあいだの、宇宙空間の温度そのものを示すものであることになる。

この鉄もしくは炭素の塵の密度は非常に低く、1cm3あたり10-35グラムくらいで、これは1cm3あたりの原子数にして10-10ほど、言い直せば、100億cm3あたり原子1個の計算になる。ちなみに、銀河系内の恒星間空間の密度は、1cm3あたり平均原子1個くらいだ。

つまり、銀河系間の宇宙空間のこの鉄もしくは炭素の塵の密度は、恒星間の空間の平均物質密度の100億分の1にすぎないほど低いものだ。にもかかわらず、銀河系間の宇宙空間はきわめて大きいので、背景放射として観測されるというわけだ。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 pp.113-115)

また同じ話を何度も。「嘘も100回繰り返せば真実になる」というわけでしょうか。ここで説明されているような低い密度の塵では CMB の等方性は実現できない、というのは前にグースの説明を引用した通り。

超光速三たび

ほとんど零に近い大きさ(プランク長さ)から1cmの大きさになるのに、10-33秒しかかからない。この膨張速度は、光の速度の1022倍以上になる。これは、アインシュタインの特殊相対性理論の速度限界を、はるかに超えたものになる。

インフレーション・ビッグバン論の支持者は、通常、次のように答えて、その間の事情を説明している。

宇宙が、インフレーション・ビッグバン論でいうように、光の速度の1022倍(1兆の100億倍)以上の高密度で膨張する場合、その宇宙は、時間も空間もまだ存在していないところに膨張していくのだから、特殊相対性理論による、物体の速度が光の速度の限界を超えることはないという原則が適用されない。

さらに、膨張するのは空間そのもので、その空間の中の物質がお互いから飛び離れていくのではないから、いずれにしても、その現象には光速の限界は適用されない。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 pp.117-118)

時間も空間もまだ存在していないところに膨張していくのだから」って何ですか…。脱力。近藤氏が宇宙膨張を正しく理解していないことが残念ながらこれではっきりしました。膨張が超光速であることと特殊相対論の速度限界の話がなぜ両立するのかはに書いた通り。しかしこういうレベルの人でも IAU の Commission の chair になれるもんなんですね…。

だが、それはそうかもしれないと一歩譲ったとしても、右記のインフレーション・ビッグバン論で、距離と時間を議論するのには、それを測る基準になる時間と空間の存在が、前提として必要ではないかと思える。ここでインフレーション・ビッグバン論は、まだまったくテストされたことのない、未知の自然科学の"法則"を用いていることになる。

かといって準定常宇宙論も、ほぼ同様に、真空からの物質とエネルギーの創造を仮定しているから、これは両説に共通の問題となる。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 p.118)

未知の自然科学の"法則"」なんか使ってません。宇宙膨張は宇宙原理と一般相対論だけから導かれる帰結です。読んでいてそろそろ気絶しそうになってきますね。

均一と不均一

つまり、インフレーション・ビッグバン論においては、超光速の膨張と、背景放射の微妙な不均一性の両方を必要とする。銀河系が均一であることを説明するために生まれた膨張(インフレーション)理論であるが、今度は、その膨張自体が不均一であった証拠を探しているのである。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 p.119)

「均一」「不均一」という語で複数の異なる概念を(意図的か無意識的にかは知りませんが)混同し、結果的に「ビッグバンモデルは信用できない」という印象を抱かせるような文章になっています。仮にも研究者で通っている人物が、科学的議論でビッグバンモデルの問題を指摘せずに字面での印象操作に走っているあたり、非常に不愉快ですね。

近藤氏の文章は明解でないので読み解くのが大変なのですが、どうやらここでは「均一」という言葉で次の別々の概念を指しているようです。

膨張宇宙モデルの前提になっているのは宇宙原理です。インフレーション理論で解決されたのは平坦性問題です。現在の銀河・銀河団などの構造形成の種になったと考えられているのは CMB に見られるわずかな非等方性(ゆらぎ)です。別々の話をごっちゃにしてはいけません。ちなみに CMB のゆらぎの振幅や角スケールのパワースペクトルの観測結果はインフレーション理論の予言とよく合っています。

軽元素の存在比

一方、準定常宇宙論の支持者たちは、星の内部での核融合を、計算上正しく取り扱えれば、その理論上の予測は観測された恒星間の元素の比率と一致するという見解である。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 p.122)

ビッグバン理論の強力な証拠の一つとして挙げられる宇宙の軽元素の存在比について、準定常宇宙論でも再現できる、という主張に触れた部分です。この話題について近藤氏は意外なほどあっさりとしか書いていませんが、一般にはこの宇宙の軽元素の比率、特に 4He が 25% 存在するという観測値については、ビッグバン後の高温・高密度環境で作られたというモデル以外では矛盾なく説明することはまずできない、ということになっています。そもそも定常宇宙論派の大ボスだったフレッド・ホイル自身が、1964年に Nature に投稿した有名な論文で、4He が星の内部で全部作られたとするのは無理だと結論しています。こういう話にもちゃんと触れないと。だいたいビッグバンがテーマの本で軽元素の話に3ページしか割いていないというのはフェアじゃないですね。

「茶色矮星」

暗黒物質の実体についての憶測には、ブラックホール(図6-2参照)から、茶色矮星(惑星としては大きすぎるが、内部で核融合をして光る星になるには質量が小さすぎる天体)、質量をもったニュートリノ(ニュートリノには質量がないといわれてきた)、いわゆる MACHO(Massive Compact Galactic Halo Objects 渦巻き銀河の一部をなすガスや星の球状の雲の中にあるかもしれない質量の大きな無数の物体)、さらには誰も今まで思いもおよばなかったような不可思議な物質まで入っている。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 p.124)

茶色矮星て。"brown dwarf" は普通は「褐色矮星」と呼びます。これ以外にも近藤氏は天文用語がどうも怪しいですね。系外銀河を「銀河」と書いたり(我々の銀河系と混同しやすいので普通は系を付けない)、銀河団のことを「銀河系の群」と書いたり。「島銀河系」というのもあったな。米国暮らしが長いので日本語表記を知らないのかもしれませんが、こういうのも普通は編集者が何とかしないんでしょうかね。上の MACHO の説明もなんか凄い。

銀河の回転曲線

準定常宇宙論そのものは、暗黒物質の存在を必要としない。したがって、銀河系の外側の回転速度の問題は、準定常宇宙論にとっては本質的な問題ではない。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 p.126)

「問題ではない」のならどうやって解決するのか説明して欲しいんですが…。

ちなみに銀河の回転曲線の問題とは以下のようなものです。銀河は剛体回転ではなく、中心距離ごとに速度が異なる差動回転をしています。半径 R の位置での回転速度 V(R) は、その半径 R の内側に含まれている質量 M(R) によって決まります。具体的には回転運動の運動方程式から V(R)2 = G M(R) / R となります。太陽系のように質量が中心に集中している場合には、M(R) は R によらない一定値となるため、回転速度は R1/2 に反比例して減少します。同様に銀河の場合にも、もし銀河ディスクの縁で物質分布が終わっていれば、それより外側では回転速度は下がるはずです。しかし銀河ディスクより外側に存在する中性水素ガスを観測したところ、回転速度がディスクの外側になっても減少せず、ディスクの半径の数倍の距離まで平坦な回転曲線が続くことが明らかになりました。回転曲線が平坦(V(R) が R によらず一定)ということは、上式から M(R) ∝ R となり、銀河ディスクの外側にも延々と質量が分布していることになります。このことから、光を発せず質量のみを持つ暗黒物質の存在が言われるようになったわけです。

回転曲線が平坦だというのは観測的事実なので、準定常宇宙論であれ何であれ、これについて説明ができなければなりません。近藤氏が言う「準定常宇宙論は暗黒物質の存在を必要としないから回転曲線問題は本質的問題ではない」という記述は何の説明にもなっていません。

銀河団の暗黒物質

もし、銀河系の群(図6-3)が、インフレーション・ビッグバン論で説かれているように、百数十億年前の宇宙創成のときから万有引力の法則にもとづいて力学的に安定した銀河系の集団であったとすると、その銀河系の群の中の発光している恒星全部の(そのスペクトルと全体の光度の観測資料から推定された)質量では足りないことになる。

この場合、通常用いられているやり方で発光体(つまり無数の恒星)を観測し、その光度とスペクトルから質量を推定する方法で計算すると、ほぼ90パーセントの質量が不足していることになる。だから、その90パーセントというのは暗黒物質にちがいないという議論だ。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 p.128)

銀河団の hot gas の話がすっぽり抜けてますね。銀河団のダークマターの話をしようという時に hot gas に触れないというのは私の感覚からするとかなり「ありえない」んですが。こういうところにも近藤氏の門外漢ぶりが表れています。

銀河団をX線で観測すると、108K といった非常に高温のガスが銀河団全体に分布していることが分かります。よって銀河団の「目に見える質量」はメンバー銀河と hot gas の質量の合計ということになります。一方、銀河団内の銀河は銀河団全体の重力ポテンシャルの中を運動しているので、この運動速度から力学平衡を仮定して銀河団の質量を計算できます。こうして計算した質量が上記の目に見える物質の合計よりもはるかに大きい、ということから、銀河団にも大量の暗黒物質が存在すると考えられています。質量比で言うと、目に見える銀河が 5%、hot gas が 10% で残り 85% が暗黒物質と言われています。

準定常宇宙論では、新しく生まれた銀河系が、真空から生まれたばかりの場所に群をなしていてもおかしくはない。新しく生まれた銀河の群は、つまりは百何十億年間も、万有引力の法則にしたがって力学的に安定している必要がなく、準定常宇宙論では、銀河系の群を説明するのに、暗黒物質をもち出す必要がない。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 p.129)

準定常宇宙論では全ての銀河団は力学平衡に達していないと解釈するそうです。というか、銀河団のメンバー銀河は全て力学平衡の速度よりもはるかに速く運動していると考えるわけですね。つまり、銀河は群をなして、かつ(なぜか)非常に大きな速度分散を持って真空から誕生し、やがて四散するということでしょうか。そうであれば銀河団に属さず高速で運動する単独銀河がもっとたくさん見つかっても良さそうですし、銀河団に属する銀河の恒星は生まれたばかりの若い星のみで構成されているということになってしまうわけですが、いいんでしょうか。しかも銀河団の hot gas も、銀河団の重力に束縛されて力学平衡に達しているのではなく、たまたま一時的に銀河団に付随しているだけでそのうち飛散する、ということになります。かなりトンデモな話ですが、近藤氏は何とも思わないのでしょうかね。

ハッブル定数が宇宙膨張の運命を決める?

ビッグバン論では、ハッブル係数の値は宇宙の究極的な将来を知るために大変重要なものである。この数値が一定のものより大きかったら(その限界値は、どれだけ暗黒物質があるかという仮定により左右されるものだが)、宇宙は膨張を続け、その中の物質の密度も、使用可能なエネルギーもどんどん希少になり、終極的には「熱死」もしくは「熱消耗死」と呼ばれる状態に至ることになる。

もしハッブル係数が、その限界値よりも小さければ、宇宙は自分自身の重力の場のために、ビッグバンにより始まった現在の膨張運動がその限界まで来たときに内部重力崩壊を始め、ビッグバンとちょうど逆の、ビッグクランチに至る。ビッグクランチは、最終的には巨大なブラックホールとなって終わることになるかもしれない。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 p.130)

ハッブル定数と密度パラメータを完全に混同していますね。全く、よくこんな本で金取るよなあ。

宇宙のスケール因子の時間発展は、宇宙に含まれる物質のエネルギー密度と宇宙定数のエネルギー密度で決まります。宇宙の曲率が 0 の平坦な宇宙を仮定すると、物質密度と宇宙定数の和がちょうど臨界密度に等しくなっていることになるので、物質密度だけが宇宙の時間発展を決めるパラメータとなります。このページの説明の通り、物質密度が小さければ宇宙膨張は永遠に続き、大きければ途中で収縮に転じます。ハッブル定数は現在の宇宙の膨張率を表しているので、ハッブル定数が変わっても進化の時間方向のスケールが伸び縮みするだけで、スケール因子の発展の仕方そのものには影響しません

また、宇宙膨張が永遠に続いた場合には、恒星や銀河などの物質が全て巨大ブラックホールに飲み込まれ、そのブラックホールも蒸発して最後には輻射のみが残る、という話もありますが、この終末は19世紀に考えられていたような、宇宙全体が熱平衡に達してしまう熱死 (heat death) とは違います。このへんの話は同じブルーバックスの『宇宙の終焉』(杉本大一郎)に詳しく書かれています。(絶版ですが amazon で古書が買えます。)

加速膨張とダークエネルギー

この想定された宇宙膨張の加速は、現在のインフレーション・ビッグバン論では説明できないので、その論の支持者の中には、未知のエネルギー源の存在を提案し、それを暗黒エネルギー (dark or black energy) もしくはクインテッセンス (quintessence) などと呼び始めている。

このやり方にしたがうと、自分の信じる仮説が、立証済みの観測結果や理論から説明できない場合に、安易に未知のエネルギーとか物質のせいにしてしまうのが習慣になりかねない。このような方法が、科学の進歩のための常套手段として望ましいものであるかどうか、一考してみる価値は十分ある。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 p.136)

ごもっともな説ですが、「真空から物質が継続的に湧き出している」とか「生まれたばかりの電子は質量が軽い」という準定常宇宙論の主張は安易ではないんでしょうかね…。ちなみに、宇宙定数が 0 でないという結論はここで触れられている Ia 型超新星の観測以外にも様々な観測から示唆されているので、現在ではむしろ宇宙定数が 0 であるとする方が不都合が多いという点は知っておくべきでしょう。

未検証の物理理論

インフレーション・ビッグバン論は、真空の量子的な揺らぎから宇宙のすべてが生まれたとする。

準定常宇宙論でも、やはり真空の無から、物質とエネルギーが生まれるものとするが、この場合は、その「代償」として、ブラックホールが同時に生まれる。

いずれにしろ、ここで引用されている物理理論は、今まで実際にテストされたことのない、未検証のものにもとづいている。(第6章 インフレーション・ビッグバン論、準定常宇宙論、その他の宇宙論 p.137)

にも述べたように、インフレーション・ビッグバンモデルの正否を論じる場合に無からの宇宙創生説まで一緒くたにして議論するのはおかしい。無からの宇宙創生が未検証だからといってビッグバンモデル全体が未検証であるわけではありません。

超巨星の縮退した中心核

鉄よりも重い元素は、超巨星の内部の電子縮退状態 (electron-degenerate) になった中心の核が、白色矮星と同じ密度になり、やがてその中心核の質量が大きくなりすぎて重力崩壊するときに造成されるが、そのときに重力崩壊から放出されるエネルギーにより外側の大気が爆発的に飛び散って起こるのが、いわゆるII型の超新星である。(結びの言葉 p.145)

これも正確ではありません。II型超新星は太陽の8倍より質量が大きい星の超新星爆発ですが、星の質量によってさらに2種類の爆発過程に分けられます。

太陽質量の10倍までの星では炭素燃焼で O,Ne,Mg からなる中心核が作られます。この中心核は縮退して重力を支えるため、これより先には核融合は進まず、中心核の外側の球殻状の領域で炭素殻燃焼が始まります。やがて中心核内で Mg や Me 原子核による電子捕獲反応が起こり、これによって電子が消費されるために縮退圧が弱まって重力崩壊・爆発します。この電子捕獲反応は中心核の質量が 1.38 太陽質量程度になった時点で起こるので、近藤氏が書いているように中心核の質量がチャンドラセカール限界を超えて重力崩壊が起こるのではありません。(ただしこのあたりも研究の進展が早い分野らしく、1992年に書かれた『星の進化』(斉尾英行、培風館)では「コアがチャンドラセカール限界を超えるために重力崩壊する」と書かれているので、近藤氏だけが悪いとは言えないかもしれません。)

太陽質量の10倍より重い星の場合には、密度が高くないので中心核は一貫して縮退しません。縮退しないまま、鉄までの元素が中心核でタマネギ状に作られていきます。鉄より先には核融合が進まないため、鉄の核は重力収縮します。収縮によって温度が上がりますが、自己重力系は負の比熱を持つように振る舞うため、熱が外に流れるほどさらに中心が収縮して温度が上がります。やがて1010Kくらいに達したところで鉄の原子核がガンマ線光子を吸収して分解します。この反応は吸熱反応なので、これによって一気に中心の圧力が下がって爆縮し、超新星爆発となります。


おわりに

以上見てきた通り、この本は宇宙論の解説書としては疑似科学本ではないにしろ、最悪の部類に入ると言って良いでしょう。数式を使っていない初心者向けの本の中にももっと良い本はいくらでもあるので、そういう本を買った方がはるかにましです。

また、この本は2000年に出版された本ですが、その後2003年に COBE の後継となる CMB 探査機 WMAP からの観測結果が得られて、有名な137億年という宇宙年齢を始めとして、ハッブル定数や密度パラメータなど多くの宇宙論パラメータが非常に高い精度で決定されました。また、CMB の非等方性についてもより高い角分解能で観測が行われ、ビッグバンやインフレーションモデルに基づく標準的モデルと非常に良く一致すること、準定常宇宙論や MOND(修正ニュートン力学)に基づくモデルとは合わないことが確認されています。このように、WMAP 以前と WMAP 以後では宇宙論業界はずいぶん変わっているので、宇宙論に関する本を買う際には出版年を確認することをお勧めします。